竹的雑感記~ヨーロッパ生活…その後~

ヨーロッパでの経験を活かし…東京砂漠で奮闘中。

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Maltaからはじまる「人脈」

さて、僕がMaltaを去って1カ月以上が経った。

渡英直後、一時期生活環境の違いからMaltaを心から恋い焦がれていたが、そういう気持はかなり薄れつつある。

そして、僕の知るMaltaも徐々に変わりつつある(はず)。

というのも、この年末という節目に僕がMaltaで同じ時間を過ごした友人たちの多くが、Maltaを去っているからだ。

しかし、今になって思えば、仮に今もまだ僕がMaltaにいたのなら多くの友人たちの「見送り」をしなければならなかったわけで、逆にたくさんの友達に見送られる側で良かったのかなという思いもある。

Maltaで得た、友人達とは一生とは言わないが、出来る限り付き合いを続けていきたいと思っている。

もちろんここOxfordで出会った友人たちともそうありたいと思う。

当然皆、住んでいる場所はバラバラ。

日本国内で遠距離なんていうレベルじゃない。彼らとは「時差」がある。

それでもせいぜい飛行機に12時間、長くとも1日「だけ」移動すれば彼らにはまた会える。

だから彼らとバラバラになっても「遠い」という気持ちはない。(もちろん、まだ僕がヨーロッパに滞在しているという影響もあるだろうが)

それに今日(こんにち)、E-mailやMSN MessangerそれにSkype等、どんなに離れていようともリアルタイムでコミュニケーションがとれるツールがたくさんある。

本当に便利な世の中だと思う。(10年前はそういったものが全くなかった時代を知ってるだけに。逆にこれから生まれてくる子供達はそれが標準なのだろうが。)

という事でMaltaを去っても、そこで出会った友達とのやりとりはまだ続いている。

まずは先生。

僕の最初の先生で終盤の数週も授業を受けた年下♀の先生Deniseは、僕がメールを出せばすぐに返信をくれる(ちなみに彼女は現在休職中)。

Gregは一度だけメールをくれたが、超がつくほど短い文だった。

それでも

「Maltaにまた来るなら飲みに行こうな」

と。

続いてスペイン編。

Maltaで別れて半年近くが立つAlfonsoも未だに連絡がちゃんとつく。

Maltaでは2回くらいしか遊んだことがないJoan(通称Maradona(アルゼンチン出身とその髪形からそう呼んでいた))とLambertもメールをすれば返ってくる。(ちなみにJoanは画の才能もかなりのものだった)

またバレンシアに住むVictorともやり取りが続いている。

スペイン人といえば、僕の元RoomメイトAlbertoだが、彼も一時期音信不通になっていたが近頃ようやく連絡が取れるようになった。

彼の友人は世界的に有名なFCバルセロナの道具係を担当しているらしく、彼もそのコネで何度か試合観戦したことがあるとの事で、僕も来年の一人旅の際は、その人脈を使った観戦チャンスを虎視眈々と狙っている。

しかし一つ気がかりな事が一つ。

このブログにも登場した彼の彼女Silviaとだが、個人的に「破局疑惑」を抱いている。

というのも、彼の元々もっていたHotmailのアドレスは2人の名前を組み合わせたものだったが、近頃Albertoは新しいアドレスを取得しなおし、Silviaの名前が入ったアドレスを使用しなくなった。

その直前に「Silvia元気?」とAlbertoに聞いた事があったが「彼女は遠くの学校に通ってて…これが人生さ」的な返答だった。

Maltaにいた頃はまったくほころびを見せなかった彼らだったのだが…Silviaのアドレスは知らないし、真相は今のところ闇の中。

次に僕の友達の最大派閥トルコ。

僕のことをトルコ語で「兄弟」と呼び、マルタで全く同じ時間を過ごしたKorayは近頃連絡が減ったがが、「Korayとの縁は切っても切れまい」的なものがある。

元クラスメイトのトルコ人Ikerもこの間

「新しいドイツ人彼女ができたぞ!トルコにくるのか?来るなら連絡してくれ!」

とメッセンジャーで話しかけてくれたり。(ドイツ人彼女の報告がメインだった感も否めない)

また一緒のサッカーをしたトルコ人ブラント(スペル未確認)も「お前のプレイ(サッカー)は忘れないぞ!」とメールをくれた。

終盤よく一緒につるんでいた同じくトルコ人Canもメッセンジャーで話しかけてきてくれて、

「本当に一緒に遊んだ日々は楽しかったね」

と。本当に嬉しい限り。

FlatメイトだったMahmedも相変わらず気の利く男で、メールをすれば返ってくる。

こう書いてると、来年の一人旅の際にはトルコでは宿には困らなそうだ。

お次はフランス。

僕の最後のRoomメイトだったフランス人Romainもよくメールをくれる。

2,3日メールを返さなかっただけで

「Masa生きてるか?」

とか。彼の英語の発音は、Maltaの生活の中で若干の改善を見せたものの最後まで強烈なフランス訛りで聞き取りにくかった。

だからメールでのやりとりの方がスムーズにいく(元々英語力はあるみたいだし)

同じくフランス人のNathalieは現在アイルランドにいるようだが、彼女もちゃんとやりとりしてくれる。

次はロシア。

元クラスメイトのJuliaや最後の数週一緒に遊んでいたNadyaとはメールのやり取りが続いている。

話が横道にそれるが、最後に一緒に遊んでいたメンバーでNra(ハンガリー)、Ira(ロシア)から今のところ連絡がない…やっぱりみんな忙しいのだろうか。

まだまだ続く…次はスイス。

最初のFlatメイトJoelもまめに連絡をくれるし、その絆が切れそうな気配を感じさせない。

一時期「超」がつくほどマメに連絡をくれていた元FlatメイトFabrizioが最近音信普通だ。しかし、僕は彼の人間性を信用しているので、一人旅の前にもう一度コンタクトをとってみたい。

他には牛タンゲームを星の数ほど!?一緒にやったFabienneもちゃんと連絡をくれる。

僕の事をいたく気に入っていた元クラスメイトSophieは先日、Maltaで出会った海外の友達で初となるSkypeで連絡をとった。

「私英語の事、結構忘れたよ~」

的な事を呑気に言っていた。さすがはSophieだ。

お互いWebカメラを使っての会話だったので

「髪伸びた?」

とも言われた。スイスのタモリさんだ。

Maltaに一緒にいた頃から彼女はいい意味で女性的なものを感じなかった(本人にはいい意味ではないだろうが)。

Webカメラの向こうのSophieは相変わらずで、どこかホッとすると同時に、その何も考えてなさそうな(実際はイタリア語、スペイン語、フランス語を喋るインテリだが)ところに癒された。

最後にお隣韓国。

なぜかメールに対する、反応が薄いのが韓国。

僕が知ってるアドレス全員にメールを出して、返ってきたのは現在LondonにいるJuminと韓国に帰ったJihyeくらい。

コリアンのみんなとも結構親しくしていたつもりだったけど…。

上にあげた国々以外では、もちろん僕の最初に出来た親友AleksanderとShaban(共にアルバニア人)との仲も続いている。

彼らとの仲は2~3年連絡を取らなくても続きそうな気がする。

とまあかなり長くなったが、今回書いた友人たちは皆既にMaltaを去り、帰国または他の国に移った。(先生以外(まだMaltaに残る友人たちは今回の記事では割愛))

マルタで出会った日本人友達はというと、これまた音信普通になりかけている方々がポツポツ…。

これを読んで心当たりのある僕の知り合いの方は暇なときにでもメール下さい。

ヨーロッピアンの友人たちとは来年予定している一人旅で、そして日本人友達とは僕の帰国直後に東京あたりで集合して「がっつり」飲みたいと思っている。

韓国人の友達にも会うべく、来年は韓国旅行もしないと…。

海外生活を始める前までに培った日本での人脈は、海外生活開始後、若干連絡等が疎かになりつつある…これは反省。

ただ、僕はこれまでいろいろな「人脈」の中でいろいろな選択肢が増え、いろいろな可能性を与えてもらった。

だから、「人脈」こそが僕の最大の「財産」だし、Maltaという小さな島国で偶然に出会った友人たちともこれからも繋がっていたい。

そして、そういう友人をここOxfordでもできる限り作りたいと思っている。
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マルタを去って。

マルタを去って10日が経った。

マルタをメインに記事を書くのはこれが最後ということになるだろう。

僕がマルタで自己紹介程度に挨拶した人の国籍を覚えている限りで全部上げてみたい。

トルコ、韓国、スイス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、アルバニア、ギリシャ、チェコ、スロバキア、セルビア、ポーランド、ハンガリー、ロシア、中国、ブラジル、エクアドル、サウジアラビア、アルジェリア、ルーマニア、ブルガリア、アルメニア、ウクライナ、カザフスタン、アイルランド、アメリカ、ベルギー、オランダ、アゼルバイジャン、そしてマルタと日本。

全て友達になったという訳ではないし、まだ忘れている国籍もあるのかもしれないけれど、まったく違う環境で生まれ育った人達とマルタという小さな島国で僕は出会った。

最後に思い出の写真を掲載したい。

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これは僕の学校初日(マルタ到着翌日)に撮ったもの。

左からHiro、Shaban、そしてAleksander。

彼らは留学生活の滑り出しにおいて、大いに僕の助けとなってくれた。

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彼らが僕の最初のFlatメートだったJoelとAleksander。

今振り返ってみても彼らが最初に一緒だった事は僕は相当運がよかったのだと思う。

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最終的に4度訪れることになるが、これが6月に行った初Comino。

今となってもやっぱり一番ワーストの思い出「殴打事件」(6月の記事参照)もこの日。

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僕が最初に入ったクラス。

どこかほのぼのとしたいいクラスだった。

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6月にはFabrizioという賢い賢いスイス人(22歳)がやってきたり。

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7月にはSicily(Italy)にAleksanderとShabanに会いにいったり。

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夏の間はAlbertoやその彼女Silviaとよく遊んだ。

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海岸沿いではよくBBQも。

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Greg邸でのBBQも思い出深いイベントの一つ。

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牛タンゲームの虜FabienneとNathalie。

彼女らは今でもちゃんと連絡を取ってくれてありがたい限り。出来れば来年のヨーロッパ一人旅の際に再会出来ればと思っている。

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これはピクニックに行った時の写真。

トルコの代表的な遊びらしいが、僕には理解しがたいクレイジーなゲームだった。

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ピクニックに参加した♂は僕以外皆トルコ人。帰り際には皆疲れ果ててこんな感じ。

僕はこの晩、悪夢のような悪寒に見舞われることになる。

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そしてラスト数週…僕の泥酔の日々が始まる…。

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最後によく一緒に遊んでいたメンバー。

彼らと仲間に入れてもらって本当に楽しかった。

マルタを離れて10日経った今、やはりマルタを懐かしく思う気持ちが中々消えず、今の生活と、マルタとの生活とのギャップに苦しんでいる…というのが正直なところだ。

でもきっと僕が逆に最初にEnglandに来て半年過ごし、その後マルタに移っていたのならきっとEnglandを懐かしく思っていたんだろうとも思いもある。

ただ一つ言えるのは、マルタで過ごした半年の日々は僕の一生の中でも最も思い出深い日々の一つになるであろうということ。

これから僕は自分の選択に一切の疑いを持たず、ここEnglandでも同じくいい思い出が出来るように楽しみたいと思っている。

そしてマルタで得た経験をここで存分に活かせればと思う。

これでマルタメインの記事は最後。

さて、タイトルはどうしようかな…。

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輝ける最後の1週間。(後篇)

まだまだ母親との珍道中の途中…今は湖水地方のウインダミアで執筆中。(更新するのはまた違う場所という事になりそうだが)

マルタ最後の1週間…以外にも、それまでの2~3週に比べ僕はお酒の量をある程度制限した。

最後に酔っ払って我を見失って、不必要な「武勇伝」だけは避けたかった。

毎日が「最後」の連続。

最後の授業、最後のRoofパーティ、最後のPacaville…。

僕の日常となっていた物が全て過去のもの、そして戻れないものとなる。

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これは僕の最後の授業の後に撮った写真。

全て英語で行われる授業…当り前の事だが、最初は本当に戸惑った。

それが6カ月近く経って、何の違和感も感じないものになった。

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これは僕の「恩師」Gregと。

彼は本当に「プロ」だった。最初は皆、その授業の厳格さに戸惑うが最終的には彼は生徒から絶大なる信頼を集める。

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これは僕が数十回買い物をしたであろう売店「LITA」の店主Lita。

彼女は愛すべきマルタ人。親切で優しく、僕の顔も覚えてくれていて目が合えば手を振ってくれた。

そして

「All Right?」

という、甲高い声が彼女の特徴だった。

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これはお馴染み「Native」にて。

僕の最後の先生だったChris(一番左)。

彼の授業はとにかく面白かった。英語的にためになってるかどうかは不明だったけれど、そんなのを意識させないくらい、彼はエンタテイナーだった。

そしてNativeに行くとたいてい彼に会い、僕のベロンベロンに酔っ払っている姿をよく知る一人でもある。

また僕の隣に写っているトルコ人Korayもマルタを去った。

僕と同時期にコースをスタートし、そしてクラスも一緒…さらには去るタイミングまで。僕のマルタ生活の間ずっと彼も僕と同じくマルタにいた。

時にウザったく、時にいい奴な…とにかく憎めない奴だった。

そして僕の最後のマルタの夜となった日曜日。

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僕はここマルタで英語以上に自炊の腕をあげた。

そんなこんなで、お世話になった日本人の方々+数時間後にマルタを去ったKorayのために得意の炒飯と肉じゃがを作った。

一番人気はマルタにやってきた僕の母親が作ったミートソースパスタだったが…。

そしてマルタを去る時が

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見送りには僕のFlatメートや親しい日本人が駆けつけてくれた。

皆、僕の鬚を剃った顔に騒然となっていた。

正直、鬚を剃った直後は自分でも自分の顔に笑ってしまった。

ほぼ別人。僕がここに来て人相を変えたおおよその原因が鬚だったというのがはっきりした。

そんなことはさておき、結局最後の最後までマルタを去るという実感はわかなかった。

僕は学校の用意した車に乗り込み空港へ…。

もう2度と住まないであろうDrayton、2度と通わないであろうECマルタ…。

でも強がるわけではないけれど、僕はマルタに何一つ後悔を残していない。

それに新生活への期待もたくさんある。

まだまだ僕の海外生活も折り返し地点。

マルタを恋しく思いつつも、前を向いてこの限りある時間を楽しみ続けたいと思っている。

なんとなぁく選んだ国マルタ。でも本当に行ってよかった。

マルタ最高ー!

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輝ける最後の1週間。(前篇)

マルタ最後の1週間。

今までの人生でこれほど「1週間」を意識して過ごしたのは初めてだったかもしれない。
何せ、それまで当り前のように一緒に過ごした友達、5ヶ月以上もの間僕の住家だったオンボロDrayton。

僕は残りの1週間で全て、それらを離れなければならなかったのだから…。

確かに最後の1週間になってもそこを去る実感はないままだったけれど、逆にその覚悟は出来ていた。

説明するのが難しいけれど、とにかく「去る」という事がどういう事かを深く考えないようにした。

考えれば正直辛い気持ちになる。

だから1週間後に「マルタを離れる」という事実だけを飲み込んで、それ以上の事は考えなかった。

ここを離れる際

「やっと母国に帰れる」

とか

「マルタを離れることができて清々した」

という留学生も少なくない。

それはもちろん母国は恋しい。それにマルタは確かに国と言うには小さすぎるし、遊ぶバリエーションは他の国に比べ乏しいかもしれない。

それでも、マルタが僕の今のHomeだった。

「住めば都」

26年実家暮らしだった僕はここに5ヶ月半もの間、家族なしで生活を営み、奇跡的に!?生き抜いた。

そんな最後の1週間。

以前の記事でも書いた、ハンガリー人のNora、トルコ人のHulit、Can(ジャン)、そしてロシア人のNadya、Iraあたりと連日仲間に入れてもらいそして遊んだ。

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これはMdinaで雨宿りをした時の写真。

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連日のPartyで僕の肝臓も相当な痛手を負ったに違いない。

そして最後のFlat生活は非常に落ち着いた、平和的なものだった。

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不器用な妻帯者の39歳トルコ人Ahmet(右から2番目)、僕の最後のRoomメートであり、フランス語なまりが強すぎる33歳Romain(ォホマン(日本語の発音では呼べない)(右から3番目))、そしてFlatで一番きれい好きでさらに料理の腕前もかなりのものな26歳トルコ人Burak(一番左)。

彼らと最後の時間を過ごせて僕はラッキーだった。

Flatメイトに関しては、完全に「運」なのだけれど、僕はかなり恵まれていたとマルタ生活を通して思う。

本当に本当に濃かった最後の1週間。

後篇はまた後日。

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久しぶりの更新です。

こんなにブログを更新しなかったのは初めての事ではないだろうか…。

別に体調を崩していたわけでもなく、ただただ忙しく毎日を過ごしていた。

忙しく過ごしていたというよりも、ブログ「如き」!?に頭は回らなかったという方が正解なのかもしれない。

僕はもう既ににマルタを離れ、今この記事はScotlandの首都Edinburghで執筆中。

今の率直な気持ち…。

「マルタが恋しい」

現段階ではまだまだ母親との2人旅の途中で実質的なOxfordでの新生活は始まっておらず、それに向けての期待感も当然あるのだけれど、あまりに慣れきったマルタという環境を去ったという事実を考えると、とてつもなく寂しい気持ちになる。

だからあまり後ろは…というか過去の事は考えないようにしている。

考えてしまえば、懐かしいし恋しいというのは当然の事。

しかし、考えてみれば僕の海外挑戦はまだ半分も終わっていないわけで、マルタで出会った人達、そして起こった出来事…がこれから先の半年で同じだけあるかもしれないというのもまた事実。

ちなみに、マルタを去るにあたって4カ月以上ぶりに鬚を全て剃った。

どこか気分転換をしたかった。新しい気持ちでここイギリスに来たかった。

そして、人相を出来る限り良くして入国で引っ掛かりたくなかった…。

今後、マルタでの最後の生活の様子や母との珍道中の模様はまた後の記事で更新する予定。

もうマルタで生活しないなんて嘘みたい…。

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残り1週間。

遂に1週間後に僕はマルタを発つ。

海外「旅行」の1週間はそれなりに長い時間かもしれないけれど、「生活」としての1週間は短すぎる時間。

最近は相変わらず飲んで飲んでの生活だけれど、先週末は少しお酒を控えた。

先週ひいた風邪が治りかけていたところで、完治しないまま体力的に無理をしていたので、体に再び疲れが溜まってきていた。

この所は、クラスメイトのトルコ人Hulitとその友達の同じくトルコ人Jan(スペル未確認)、ハンガリー人Nora、ロシア人のNadya、Iraあたりといつも一緒に遊んでいる。

先週のPicinicあたりから顔見知りになったのだけれど、皆僕のことを一緒に遊ぶメンバーの一人として認めてくれていて、光栄な限り。

先週土曜日は古都Mdina(何回目かな…)、そして日曜日は4度目のCominoへ。

土曜日はSliemaという隣町まで歩いて行って、そこから船でVallettaへ。

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人数構成は上記のメンバーにプラス僕の6人なのだけれど、天気もよくどこか遠足気分で楽しかった。

何より、今はもはや日本人一人という環境がどこか心地よい。

そういう状況だと明らかに口数が減る僕だけれど、半年前には想像もしなかった自分の姿がそこにある。海外生活を送っている事を実感する瞬間。

NoraとIraは僕よりもクラスのレベルは上だし、ベラベラ英語を喋る。集中していないと理解出来ないくらいのスピードで喋る。

さすがはUpper-Intemidiateの生徒。僕とは数段レベルが違う。(クラスのレベルは1つなのだが)

ちなみにこのグループで僕は最年長…Noraの年齢だけ未確認だけれど、僕より下であろうことは確か。

そしてそこからMdinaへ…行ったのは良かったのだけれど、Mdinaに着いたところで、天候が急変し、いきなりの大雨。

滞在時間5分ほどで帰宅することに。

僕以外は皆、Mdinaに来ると必ず雨が降るらしく

Noraは

「もう何の興味もないわ!」

と、テレビなら「ピー」が入りそうな言葉を吐き捨てていた。

そして、日曜日は僕以外の皆行ったことがないというコミノ島はブルーラグーンへ。

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マルタもさすがに秋真っ只中で昼間の最高気温は20度ちょっとなのだけれど、気合で泳いだ。

生まれて初めてかもしれない…11月に海水浴したのって。

そんなこんなで僕のマルタ生活も1週間を切ったところで、また新たな形で最後の生活を楽しんでいる。

最近、ずっとおろそかにしていた写真撮影を最後の思い出にとまた頻繁にとるようになった…のでいくらか掲載したい。

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これはお馴染みRoof Partyの模様。一番手前がHulitでその奥がNora。

そして次。

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左からJan(トルコ)、Ira、Vitaly(共にロシア)。

皆、180㎝以上。JanとIraに至っては185以上はあって、しかも女性のIraの方が大きい。

2人に挟まれると、177cmの僕でも子供になったような気がする。

ちなみにJan21歳、Ira23歳…。

いよいよ今日から僕の最終週が始まる。

意地でも忙しく過ごしてやろうと思っている。

ブログの更新はこれから渡英まで疎かになることが予想されるけれど、これを見て僕の生存を確認していただいている方には勘弁していただきたい。

もしかしたら、マルタ最後の1週間の記録は渡英後に更新なんてことになるかも…。

それでも僕は元気にしていますので、ご心配なく。

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残り2週間ですよー。

マルタでの生活も5ヶ月を超えた。

残り2週…実感は全くないけれど、僕は2週間後の11月12日にここを去る。

最近は日本人の全くいない状況に身を置いても全く違和感を感じなくなった。

先週の木曜日は学校のアクティビティのFootballに参加。

国籍はフランス、ロシア、トルコ、スペイン、そして日本。

日本人は僕一人で、他は皆ヨーロッピアン。

そんな中僕は黙々とプレー。ヨーロピアンだからサッカーがうまいという訳でなく人それぞれというのはもちろん世界共通。

今回、フランス人メンバーの2人は「んっ!」と思わせる技術の持ち主でおそらくは「それなり」のレベルでプレーしていただろう事はわかったし、トルコ人の僕の友人Volkan(ヴォルカン)は以前から上手いの知っていた…がその他は日本の僕の友人達のほうが数倍上手い。

幸か不幸か僕は日本にいる時はその地域では名の知れたチームに所属することが多く、チームメートもツワモノ揃いだったため、むしろ海外のほうが伸び伸びと楽しくプレーできる。

という事で、海外では僕は「ちゃんとサッカーをしていた人」というくらいにはちゃんとヨーロッパのサッカー好きに認知される。幾分かお世辞的な部分もあるだろうが…。

そしてたいてい

「お前はいいDF(ディフェンダー)だ!」

としっかりそのポジションまで特定される。今回は6対6のフットサルで誰がDFというわけではないのだが、しっかり自分のポジションがバレる。

僕はサッカー人生の中でほとんどDFだったから、今更カッコよくFW(フォワード)みたくは振舞えないということだろう。

そして土曜日は学校のアクティビティでPicnic(ピクニック)へ。

これまたアジア人は僕だけ。後はロシア、スウェーデン、トルコ、ハンガリー。

♂は僕以外皆トルコ人。

金曜日の夜の記憶がなかった僕…Picinicに参加したトルコ人♂の大半は金曜夜も一緒にいたため、彼らに

「昨日Nativeにいたのは覚えていて、次はベッドの上だったんだけれど…」

と言うと

「俺もだ!」

という輩が少なくとも2人いて、僕が特別な存在ではなかった事を確認して少しホッとした。

ピクニックではトルコの何とかドンキーというゲームを♂全員でやった。

このゲーム日本語で説明するのも難しいのだが、そのGoal(目的)がまったく見えなかった。とにかくクレイジー。かなり体を張ったゲームで、そのクレイジーっぷりに女性陣は大盛り上がりしていた。

まあPicinicで一番盛り上がった瞬間と言えるだろうからいいのだけれど、月曜日にはクラスメイトのHulitがそのゲームで負ったと思われる背中の痛みをしきりに訴えていた…。

でも、今はこんな馬鹿をするのがただただ楽しいのも確か。

ちなみに月曜日に学校を行くとやはりというべきか…

金曜日の夜(2度目の記憶喪失)の僕の醜態を友達から散々聞かされた。

「Masa!金曜日の夜のこと覚えているか?俺は覚えているぞ~(ニヤリとしながら)」

友達はFunny(愉快)だったと言ってくれるが僕にしたら全然愉快じゃない。

「でもまあ、あと2週間だからいいかぁ」

みたいな気持ももちろんある。

26年間実家暮らしだった僕が、初めて実家を飛び出し生活した場所がこのマルタ。そんな愛着のあるこの場所を僕はもうすぐ離れる。

というか…今は正直マルタを離れたくない!

多くの友人が既にここを去ったとは言え、僕はまだたくさんの友人がここにいる。

顔見知りで向こうは僕の名前を覚えているけれど、僕は向こうの名前を聞いた記憶もない…みたいな友達が連日の暴飲で増えきているが…。

でもお金よりも時間の方が僕にとってより「有限」だから、ここでの生活に「甘えて」いるわけにもいかない。

違った「刺激」を受ける必要性を自分自身感じている。

環境が全く違おうとも、Englandではまた充実した…そして楽しい海外生活が送れると信じている。

最後に僕がマルタに来た日に撮影された話題騒然のIDカードの写真を掲載。

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そりゃ笑われるよな~。

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初めてマルタでトビマシタ

最近アルコールの量が確実に増えている。

週2、3回ペースで2日酔いに見舞われるくらい飲んでいる。

肝臓への負担も懸念される。

僕の中で最近何か「ネジ」的なものが完全に緩んでいて(マルタ生活も残り少なくなってきた事が主因だろうが)

「飲むときはとことん飲む!」

というのが今のライフスタイルになっている。

先日も僕のクラスメイトのHulitの屋上でパーティがあったので参加してきた。

パーティの内容は

「久々に晴れて暖かいからRoof(屋根)パーティだ~!」

といったもの。特に誰かを祝うとかそういう類のものではない。

確かにマルタはここのところジャケット無しでは寒さを凌げないような日もあり、また連日の雨でその気候の突然の変わりように、皆がウンザリしていた。(ここ3日はだいぶ天気も良かったが)

パーティの参加資格は無。誰でも参加OK。

「とにかく人をたくさん呼んで楽しもう!」

というコンセプト。

僕は主催者がクラスメイトだから

「もちろんお前はくるよな?」

的な感じ。

そして、僕は彼のRoof Partyに参加した。

国籍は、日本、韓国、トルコ、ロシア、ハンガリー、スウェーデン、スイス等。

20人以上はRoofに集結していたと思う。

こういう多国籍パーティがもう当たり前になっている自分が客観的に見てちょっと不思議な感じもするけれど。

最近はロシア人♂のVitalyとよくつるんで、夜の繁華街Pacavilleで遊んでいるのだけれど、彼はお酒が飲める僕の事をいたく気に入っていて、とにかく僕にお酒を飲ませる。

彼が飲むのは決まって「ウイスキー&コーク」。

すでに500MLのビールを自分の部屋で2本飲んでいたのだけれど、さらにRoofパーティではビール1本とウイスキー5割という殺人的なウイスキーコークを2杯。

この時点で僕は自分で自覚できる酔っ払いになっていた。(とはいえど十分自分自身をコントロール可能なのだけれど)。

そしてParty会場は毎度毎度のPacavilleへ。

そこでさらにギネスを2杯とビールを2杯…もちろんパイント(日本でいう大ジョッキくらい)で。

このあたりから僕の記憶が怪しくなってきて…。

マルタに来てからは、どれだけ飲まされても記憶が飛ぶ程の事はなかったのだけれど、今回ばっかりは…僕は人から潰される事よりも自分で自滅するパターンがほとんどなのだが、今回もほとんどそのパターン。

自分から進んで飲んでいると、気分的にも「スキ」が出来てしまうのだろう。

正直、その後さらに自分がどれだけ飲んだのは覚えていない。

20分起きくらいにトイレに行っていたのは覚えている。

唯一の救いは僕の醜態を親しい日本人友達に見られなかったことだろう。

後日一緒にいたトルコ人に聞くと、僕は誰が見てもベロベロだったらしい。

しかも、その帰りがけ韓国人のHosukに会った「らしい」のだがその記憶もない…。

後から自分の酔っ払いぶりを聞かされるのは非常に辛いものがある。

「What did I do???」

といった感じ。

しかも、その2日後にも同じように記憶が飛び…よく行くBar『Native』の次の記憶はベッドの上だった。

何か悪さをしていなければいいか…。

マルタでの生活が残り少なくなったところで、この荒れた生活ぶり。

すっかりお酒に関する自信も喪失…。

しかもどうやら風邪をまたまたひいてしまったらしく、久々に悪寒に見舞われた。体は正直という事なのだろう。

そんなこんなで土曜日の夜から日曜日の朝にかけては外出はせず14時間の睡眠を取った。熱と喉の痛みにうなされながら…。

それでも僕は懲りずに夜の街に繰り出し続けるだろう。(風邪が悪化しない程度に)

こうなったら悔いが残るくらい遊びまくる。(もちろん学校にはちゃんと通うけれど)

でも記憶が飛ぶのはもうやめにしないと。

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家族の風景

今回の題名は僕の好きなミュージシャン『ハナレグミ』の名曲のタイトルを使用。

≪キッチンにはハイライトとウイスキーグラス どこにでもあるような家族の風景≫

という、家庭のありふれた風景を唄った曲。(ハイライトは煙草の銘柄(多分))

先週の金曜日、新たな僕のRoomメイトRomain(フランス語の発音が難しくて未だに呼び方が掴めていない)がやってきた。

フランスのストラスブール出身の33歳。

これで、僕のFlatはMaxの4人となった。

AhmetとBurakは僕と同じ日まで、Romainは僕より2週長くFlatに滞在するようだから、僕の最後のFlatメイトはこの4人で確定となった。

僕は26歳と10ヶ月、Burakは26歳と8ヶ月、Ahmetは39歳でRomainは33歳…平均年齢は30歳を超している。

皆、それないに落ち着いていて、そして皆が皆綺麗好き。

やはりどこの国でも国民性とは別に、年と共に落ち着いてくる…ないしはいろんな意味で「丸く」なるのは同じようだ。

真夏の間は年下ばかりとの共同生活(Alberto、Mahmet、Andre等)だったので、部屋の管理にも僕が常々気を使っていたが、今やその必要がなくなった。

休みの今日(日曜日)はBurakとRomainがキッチンを一斉に片付けていた。

そして今やキッチンは、整然とした素晴らしい場所となった…。

そして朝はトルコ人が準備してくれた朝食をテーブルで囲んで食べた。

どこか家族的な雰囲気。平和で落ち着いた時間が流れていた。

さすが平均年齢オーバー30歳。

ただ一つRomainの英語が非常に聞き取りにくい。フランス語のアクセントと思われる「訛り」を強烈に持っている。

Roomメイトとの会話にはこれから最後の3週間、苦労しそう…。

しかし、自分の部屋で最後のこの期間に大きな問題を抱えなくて済みそうなのは大きい。
僕の英語を鍛えてくれそうな、英語が流暢な人はいないけれど…まあ多くは望まない方がいいということだろう。

そして渡英後のホストファミリーが早くも決まったようだ。

抽象的な情報しか学校から届いていないが、街の中心部に位置し、学校まで歩いて10分。インターネットの接続が可能という事みたいだ。

家族構成等はまだ聞かされていない。マルタではずっとアパート暮らしだっただけに、ホストファミリーとの新生活には不安と期待が半々といったところ。

しかし今回食事は自炊を選択したしRoomメイトがいるわけでもないのでそれほどホストファミリーの良し悪しの影響は受けず、ある程度は自由な生活が送れるのでは…と思っている。

自炊を選択したのは、自分の生活の時間を自分で決めたかったから。

食事付きだと楽なのはいいけれど、時間的拘束を受けてしまう。

マルタで餓死しない程度の自炊生活力を身につけたので、それをEnglandでも発揮したいと思う。

そして来月は僕がマルタの学校を終了するその日(11月9日)に、母が日本から観光にやってくる。

丸2日マルタ観光をして、その後2人で渡英(得意のRyan Airで)してその後1週間親子England2人旅となるのだが、今はその旅のアレンジにも追われている。

今回の旅では26歳にして、資金面の部分でかなり「おんぶにだっこ」になってしまいそうで、申し訳なく感じている。

もちろん旅の日程決め。下手糞な通訳。なんちゃってボディーガードくらいはするのだが、今回の旅は親孝行でもあり、そして親不幸でもある。

まあ母親と2人で海外旅行なんて日本にいたら絶対に実現しない珍企画なので、それはそれで楽しみたいと思っている。

さて、マルタの天気の悪さは相変わらず。

逆に言えば、街全体の雰囲気が落ち着いてきたようにも感じる。

この所、夜の繁華街Pacavilleにも週数回顔を出している。

行けば知り合いが誰かいるし、積極的に外へ飛び出しそして例の如くお酒を飲みまくっている。

何せ泣いても笑ってもあと20日しか僕はマルタにいない。

今、当たり前になっているマルタの全てが1ヶ月後には過去のものになる。

「住めば都」

この言葉はマルタも例外ではなかった。

最近ブログに「悔いのないように…」とよく書いている事に自分で気づいたのだが、それは無意識に自分に言い聞かせているのかもしれない。

またいつか僕はここに観光等で戻ってくる事があるかもしれないが、その時にはもう今の僕の友達は99%マルタにいない。

だからこそ今のマルタを楽しみたい。

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決まりました~。

遂に渡英1ヶ月を切って…通う学校が決まった。

とりあえずHPはこちら

http://www.oxfordohc.co.uk/index.html

今回は結局エージェントを通さず自力で申し込んだ。

やはりというべきか…次に僕が選んだのはEnglandのOxford。

学校の滞在期間は11周なので授業料£822。今のレートで約20万円。週18000円くらい。

滞在方法はホームステイのシングルルーム、セルフケータリング(自炊)で週£90だから…週22000円くらい。

ただし、このホームステイは最初の5週だけ。残りの6週は未定。

とりあえず、全てマルタより若干だが高い(授業料、滞在費共に週あたり約16000円)

でも、念願の!?シングルルームとなるから、少しくらい高いのは仕方がない。

Londonならもっと安い学校はたくさんあったけれど、安さが売りの学校(特にLondon)のいい噂はあまり聞かない。

というのもLondonには当然世界中から学生が集まるようなのだが、中には就労が1番の目的で、ビザのために学校に通う…というパターンも少なくないらしく、クラスメイトがほとんど学校に来ない…なんて事もあるようだ。

という事で、Londonから程近いOxfordに手頃な値段の学校を見つけ、そこに通う事にした。(エージェント殿に見つけてもらったのだが)

授業はマルタより1日30分短くなるが、その辺は気にならない。

今となっては僕にとってマルタが都…最初はマルタとのギャップに苦しむかもしれない…けれど自分の選択がベストだと思って、また新たな生活を楽しみたいと思っている。

しかし、エージェントを通さないと全部学校に直接英語で問い合わせないといけないからちょいと辛い。

英語の勉強にもなっていると言えばそれまでだが、うまくこちらのDetail(詳細)が伝わっているかが心配だ。

まあ、そんあこんなも全ていい経験だと思って、トライしていくべきなのだろう。

さて、僕のマルタでの近況を少しだけ…。

今週よりBurak(ブラク)という新たなトルコ人が僕等のFlatにやってきて、先週に来たFlatメイトのAhmetのRoomメイトとなっている。

なので、今はトルコ人2人と日本人1人の状態。

僕は2週間目のシングルルーム満喫中で、夜中に部屋で気兼ねなくメールの下書きをしたり、ブログの記事を書いたりしている。

トルコ人の2人だがAhmetは39歳だし、Burakは26歳だしで2人とも落ち着いているし、綺麗好き。

彼等はちょうど僕がマルタを去る日まで同じFlatに住んでいるから、最後のこの期間はおおよそ平和なFlat暮らしが出来そうな気配。(僕の日頃の行いがいいのかな)

僕のRoomメイトに新たにフランス人がやってくるという噂もあるが、フランス人なら大ハズレはないかな…と思ってみたり。

どちらにせよ、僕が出会う新たなRoomメイトはこれからせいぜい1人~2人といったところ。

振り返ってみれば、僕は9割方Flatメイトに恵まれた生活を送る事が出来たと思う。

古くて、小汚いこのFlatも僕にとっては愛着のある場所。

なんてたって、ここでずーっと住んできたから。

さてさて、今週末も若い「フリ」して夜の繁華街Pacavilleにくり出してみようかと思う。

嫌いで仕方なかった(特に夏の間は)Pacavilleもなんだか愛着が湧いてきた。

残すところあと3週。

悔いの残らぬようとにかく楽しみたい。

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