竹的雑感記~ヨーロッパ生活…その後~

ヨーロッパでの経験を活かし…東京砂漠で奮闘中。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

喪中にて

年末年始のご挨拶はご遠慮させていただきます。

今年は本当に激動の1年でした。(僕にとってはいい意味で)

福岡には30日朝~3日夜まで滞在します。

できる限りたくさんの地元の友人・知人に会いたいと思ってます。

それでは明年もよろしくお願い申し上げます。
スポンサーサイト

テーマ:年末&お正月 - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

雑感 | コメント:0 | トラックバック:0 |

思えば遠くへ来たもんだ in カッパドキア(ヨーロッパ周遊51日目)

2008年4月7日。

バスは夜Turkeyの街をどんどんと東へと進んでいく。

隣にTurkey人がいて、もちろん周りもTurkey人だらけ。

居心地がいいとは言えばいが、乗り心地はEuropeでもトップクラス。

というのもTurkeyでは鉄道が発達していない分、バス路線が国内を網羅していて、バス会社は数え切れないほどある。

そして、お互いがサービスの質や価格を競っているようで、非常に質が高い。

という事で、結構ぐっすり眠れたりしながら首都のAnkaraを経由して、乗り換えの地カイセリに到着。

途中、同じバスに乗車していた日本人女性と話す機会があったが、なんとTurkeyには永住するつもりで来たのだという。

日常会話程度のTurkey語は既に以前住んでいたAnkaraで学んだとの事で、今回はCappadocia周辺の町で働きながら暮らすのだという。

日本人にもいろんな方がいるものだ。

そうして、僕は夕方前にはCappadocia観光の中心になる街、Goreme(ギョレメ)に到着。

P4070098.jpg

P4070101.jpg

さすがは観光名所。景色がいい。

ヨーロッパの西の果ての国からスタートした僕の旅もここがこの旅の東の果て。

次の日は思いっきりCappadocia観光だ。

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |

イスタンブールからカッパドキアへと…(ヨーロッパ周遊50日目)

2008年4月6日。

この日も朝からKorayとIstanbulの街を歩く。

Korayが歩くままに僕も彼について行く。

P4060082.jpg

やはりTurkeyは街も人もはEuropeとは言えない、独特の場所。

Turkeyでは「チャイ」を飲むカフェも充実している。

P4070083.jpg

赤い色をした苦味のあるチャイに小さな角砂糖を2個ほど入れて甘くして飲むのがTurkey流。

ここでチャイを5~6杯も飲みながら、Korayと語らう。

そして帰宅するとKorayのお母さんが夜ごはんを作ってくれていた。

P4070088.jpg

とにかく優しい、そして料理が得意なKorayのお母さん。

そして、東洋からやってきた僕に興味津津で近所の子供が僕に会いに来たりして

P4070097.jpg

この子たちにとって相当僕は珍しいに違いない。

そして、この日の晩から僕はTurkeyの有名な観光地であるCappadocia(カッパドキア)に行くことにした。

幸いKorayの家のあるHalemには大きなバスターミナルがあり、そこから途中で1回乗り換えれば行けるとの事だった。

KorayとKorayの叔父がバス会社の人に僕の行き先を伝えてくれて、乗り換えの不安も一切なし。

とにかく、彼らは彼らの気が済むまで僕の世話をしてくれる。どこか気持ち悪い位にVIPな待遇だ。

そして、バスに乗り込むと驚くことに日本人女性が一人乗っていた。

そして、そこから12時間超にも及ぶバスの旅が始まる。

テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |

イスタンブールブラブラ(ヨーロッパ周遊49日目)

2008年4月5日。

Koray邸で昼前に目覚めた僕。

この日はKorayの案内で、Isutanbulを散策する事にした。

さすが世界でも有数の大都市とあって、物凄く賑やかなIstanbul。

街行く人の大半はTurkey人だが、おそらくは観光客にもなれているのであろう、極東から来た日本人にも見慣れている感じだ。

Korayの知り合いがやっているというケバブ屋さんでの出来事なのだが、何とそこのテレビにあの「ごっつええ感じ」が放映されていた…。

P4050067.jpg

P4050068.jpg

まさか、こんなところで…。

しかも、そこにはMaltaで出会ったJ氏の姿が…。

さすが親日家の国だ。

この日はただブラブラと歩いていただけだったが、それまで歩いてきたヨーロッパの街とは違う。それが僕には新鮮だった。

途中、結婚式場があって今からまさに式が行われようとしている会場に無理やりお願いしてちょっとだけお邪魔させてもらったり、Korayの少し強引な、僕に彼の国を見せ喜ばせようとする気持は嬉しかった。

そして、この日の晩は彼の叔父の運転する車に乗ってドライブ。

P4060074.jpg

P4060076.jpg

Turkeyの夜は綺麗だ。

ここでもことごとく、彼らは僕に何もかも奢ってくれた。

普通のツアーなんかじゃあ絶対に経験出来ない僕の旅は続く。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |

母とヒロといっぺーと。

先週末、母が九州から関西へと遊びに来た。

…とその前に前日の晩、先月Oxfordから帰ってきたいっぺーと飲みに行った。

いっぺーとはOxfordで知り合い、向こうでは1か月ほどしか一緒に遊んでいなかったのだが、同い年という事もあり親しくさせてもらっている。

この日は僕の英語のClassが終わった後、22時頃心斎橋でいっぺーと合流。

そこで、パクという身長2mのいっぺーの友人と3人で飲む。予想はしていたが、いっぺーの友達は皆濃い。

その後、行きつけらしい!?ゲイバーに会場を移したはいいけれど、そこにはいっぺーの友人が20人近くも…そして、やっぱりみんな濃い…。

僕にしてみればいっぺー以外知り合いはおらずそこは完全アウエーだったけれど、でも皆いい人で退屈はしなかった。

いっぺーと飲むときはOxfordでも常に「ギリギリ」まで飲んでいた。この日も「いつものように」飲みまくり…三次会は途中からどうやら少し眠っていたようだ…(自己防衛機能が働いたらしい)。

記憶も途中からちょっと怪しいし…。

僕は次の日、正確にはその日の朝に母を迎えに行かねばならないため、四次会!?に会場を移したところで午前三時過ぎごろ帰らせてもらった。

PC130048.jpg

とにかくクレイジーだが楽しい「The 大阪人」ないっぺーをはじめとしたみなさん、これからもよろしく。

そして数時間後、激しい頭痛に襲われながら、伊丹空港まで母を迎えに行き、僕の住む中津へ。

本当は京都に行く予定だったが僕の体調がとても遠出に耐えうるものではなかったためこの日は大阪市内を案内。

PC130052.jpg

そして夜はKobeでマルタ時代の友人ヒロと合流。

ヒロのナイスな提案でルミナリエも見に行った。

PC130066.jpg

PC130067.jpg

滑り込みセーフで会場に行ったから五分ほどしか見れなかったが、評判通りの素晴らしい鮮やかさと人の多さだった。

先週末はこうやって、いっぺーやヒロに週末を付き合ってもらって、関西に友人がいることのありがたみを感じた。

これもMaltaに行き、そしてOxfordに行ったからこそ出来た人脈。

現在更新中のヨーロッパ横断の旅でも本当に多くの友人に助けられて旅をしたが、日本にも彼らのような友人がいて相変わらず幸運に恵まれている。

そして日曜日はここ最近三度目となる京都へ母と観光。

ここ最近三度目の嵐山も母にとっては新鮮な光景だったようだ。

PC140074.jpg

紅葉のシーズンは残念ながら終わっていたが、ぞのぶんゆっくりと観光できた。

清水寺では「今年の文字」となった「変」の前で我が母。

PC140085.jpg

来年はもう少しポジティブな言葉がここに飾られるように願いたい。

そして、母は三泊四日を狭い僕の部屋で寝泊まりし、福岡へと帰った。

僕も帰省まであと10日ほど。

1ヶ月半ぶりの福岡もまた楽しみでたまらない。

テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

雑感 | コメント:0 | トラックバック:0 |

久しぶりの「アジア」へ(ヨーロッパ周遊48日目)

2008年4月4日。

この日は計画通り、朝にお世話になったHostelをチェックアウト。

TurkeyのIstanbulに向かうため、前日は購入出来なかったチケットをゲットしにバス会社のカウンターへ。

そこで、前日と変わらずの悪態…。

無事にチケットはゲットし、遂にTurkey行きのバスに乗り込んだ。

そこからバスで約4~5時間走っただろうか、BulgariaとTurkeyとの国境に辿り着いた。
乗客の中にUKからのお客さんもいたのだけれど、彼らはビザの手続きを必要とするようだったが、日本人の僕はパスポートのみでOK。

Turkey側に行っても荷物チェックが行われ、荷物を鞄から出される人もいる中、僕は

「どこから来た?」

「日本から」

「コンニチワ」(ニコリと笑いながら)

これで、何のチェックもなくパス。

Turkeyは一般的に日本人には親切と言うが、本当らしい。

そして国境の町はEdirneというのだが、早速国境のバスターミナルからはモスクが見えた。

本当にTurkeyまで来たんだ…。

Portugalから始まった旅も、遂に東端の国Turkeyまでやってきたのだ。

そして、そこからIstanbulまでさらに数時間。

窓から見える景色はBulgariaとはまた違い、Turkeyが少なくともBulgariaに比べれば遥かに裕福なことを窓からの景色で推測できた。

Istanbulのバスセンターに到着した僕は、この日お世話になるKorayの言われた場所へ行こうとするが、まず自分がどこにいるのかわからない。

そこは僕がMaltaやOxfordで出会った数多くのTurkey人と同じように、ヨーロピアンとは呼べない、何とも濃い顔立ちの人たちがたくさんいた。

僕は思った…この国はヨーロッパではなく、アジアだと。

とりあえず、適当に人に聞き、英語がほとんど喋れない人だったが、地下鉄でKorayに言われたフェリー乗り場まで行けることはわかった。

そして、何とかフェリー乗り場に到着したはいいが、今度はどうやってフェリーに乗ればいいかわからない。

僕が右往左往しているとかっぷくのいい一人の女性が

「Can I help you」

話しかけてきた。救う神現れたり。

彼女は僕の聞きなれたTurkeish訛りの英語を喋るが、コミュニケーションには問題ない。
どうやら、国際関係の職に就いてるらしく彼女のような存在はTurkeyにおいて貴重だ。

彼女の案内でフェリーにも無事に乗り込み、少し語らいながら遂にKorayに指定された町Halemに到着。

しかし、ここで問題が…。

Korayに電話が繋がらない…(後々僕の登録していた番号が一つ'0'が足らず、彼には僕からの連絡が一切繋がっていなかった事にきづくのだが…それはまた後のお話)

そうすると、偶然いいタイミングでKorayから電話が。

久しぶりに話して嬉しいのだが、初めての土地英語で自分の居場所を伝えるのは難しい。
そうすると、また案内してくれた彼女が電話に替わりトルコ語で説明。

そして、5分ほどして遂にKorayと再会。

助けてくれた彼女はそれを見届けると、僕に別れを告げ帰途についた。

Turkey人はいい人だ…。

さて、久々にあってもそれほど懐かしく感じないのがさすがKorayだが、少なくとも友人として付き合っている上では、すごくいい奴で(多少、Maltaでも煙たがられてはいたが…)、僕も彼の家ではRelaxできた。

彼は母、叔父、祖母との4人暮らし。

Koray以外はまったく英語を喋らないが、みんな温かい

P4050065.jpg

僕とKorayとそのおじさん。

いろんな人の助けがあって、僕は無事にIstanbulのKoray邸に到着した。

さあ、これからTurkey周遊だ。

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ソフィアでダラダラ過ごす(ヨーロッパ周遊47日目)

2008年4月3日。

前日に日帰りながらも長時間の移動をした僕は疲れ気味。

朝から僕はHostelでダラダラ。

このHostelはネットも使えたため、その後のTurkeyでの日程を考えたり。

TurkeyではまずMaltaで仲良くしていたKorayと家にお世話になる予定になっていて、彼が週末の方が都合が良いとの事だったので、木曜日のこの日は僕はBulgariaで過ごさねばならなかった。

そして次の日のバスのチケットを買おうと、駅の横にあるバスセンターに行ってみたはいいが、パスポートがないと購入出来ないという。

たまたまその時、Hostelにおいて来ていた僕は購入出来ず。

しかも、その受付の対応が悪いのなんの…。

僕ももう日本を離れてこの段階で1年近くが経っていて、海外のサービスが日本のそれには遠く及ばない事はよくわかっていたつもりだが(国によって差があるものの)、それにしてもこの時は久々に「カチン」と来た。

どうやらBulgariaは僕に合わないらしい。3日いて、結局最後まで愛着はわかなかった。

P4030058.jpg

"一応"、EUには加盟しているようだが、この国の抱える貧しさはそう簡単に解消されそうにもない。

一つよかったのは、Hostelの従業員がめちゃくちゃいい人で毎晩パスタを作ってくれたこと。(毎晩同じ味だけど)

Bulgariaの物価からするとHostelの値段は割高だったかもしれないが、それでも10ユーロ程度。

そのため、日本人バックパッカーはSophiaで「沈没」するのも珍しくないらしい。

まあ、僕にってはTurkeyへの通過点の一つに過ぎなかったBulgaria。

そしていよいよ次の日から、僕の友人の最大派閥Turkeyへ行く事になる。

TurkeyからはGreece、Switzerland、Italyと再会や出会いのオンパレードの旅となっていく。

テーマ:とりあえず書いとこ ~ф(゜゜) - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ミーハーに世界遺産へ行く…リラの僧院(ヨーロッパ周遊46日目)

2008年4月2日。

この日は朝から、首都Sophiaから日帰りで行ける世界遺産、リラの僧院へ行く事にする。
日帰りと言っても、片道3時間以上はかかる。

Sophiaも2日目となり、トラムに乗ったりするのにも慣れてきた。

ここまで10カ国以上渡り歩いてきた僕にっとは、辺鄙な国の公共の交通機関も躊躇わずに乗れるようになっていた。

というかそういう事が出来ないと一人で旅なんて出来ない。

Hostelからバス停までトラムに乗っていき、バスでは運転手からチケットを買う。

バスの中はガラガラ。

どうやら、他にもわずかだが観光客が乗っているが喋っている言葉はフランス語のようだ。

家族が一組と女性が一人。

さて、バスはSophiaからBulgariaの山の中へと入り、山道を登ってリラの僧院のふもとに到着ししばし停車。

P4020052.jpg

どうしようもない田舎だ。

ここで家族で来ていた母親が英語で話しかけてくれた。どうやらまずは僕が何人なのか知りたかったようだ。

話によればその家族はこの日はこの麓の町に滞在していくらしい。

まあ、家族と来ていたらまあいいだろうが、僕のような一人旅では絶対に滞在したくはない場所だ。

そしてさらにそこからバスは山を登り、僧院に到着。

まずは帰りの時間も意識しなければならないが、そこへ女性一人で来ていた女性にやはり英語で話しかけられた。

「あなたは帰りどうするの」

「まだ決めてないよ」

「次のバスは2時間後なんだけど、ちょっと時間が早すぎるわ。乗り換えでもいいから次の便で一緒に帰らない?」

「それでもOKだよ」

ってな事で、一本しかないSophiaへの直行便に乗るのはやめて、ゆっくり観光してそれから乗り換えで帰るということに、この女性との協議で決まった。

さて、リラの僧院は世界遺産にも登録されている。(詳しくはWikipediaででも調べてみてください)

P4020053.jpg

P4020055.jpg

まともな交通手段もなかったであろう時代に確かにこんな山奥に僧院を建てて修行した人達(今でも僧侶はいるようだが)は、ある意味クレイジーだ。

なにしろ周りには何もないのだ。

僧院に来た観光客用に売店やカフェはあるが、片手で数えれる程度だ。

正直1時間もしないうちに僕は飽きてしまった。(僧院自体サッカーコート1面分くらいの広さしかない)

そんな時、あの一人で来ていたあの女性と目が合った。そしてお互いが既に観光に飽きている事を感じ取った。

そして

「次の直行便で帰ろう」

と即決。

なので、僧院横にあるカフェでコーヒーを飲む事にした。

彼女はBergiumからやってきたようで僕より若い。(ベルギーにはオランダ語とフランス語圏の2つあがある)

どうやらボーイフレンドがSophia大学で学んでいるようで会いに来たらしい。

英語もかなりペラペラだ。

得てしてオランダやベルギー、デンマークやその他の北欧の人々は英語がうまい。

その理由を問うと

「英語を学び始めるのは12歳」

らしい。これは日本と変わらない。しかし

「でもそれまでアニメを見るときは音声は英語で字幕で見ているから、英語を学び始める段階で基本が出来ているの」

との事。なるほど。

じゃあ、日本も同じようにすればいいかもしれないが、字幕にするとアルファベットのみの外国語と違い、日本語の場合漢字等の問題もある。

それにそもそもアニメを「輸入」する必要もない。

…という事でリラの僧院よりもこの30分ちょっとの彼女との何気ない会話が楽しかった。

帰りは予定通り、直行便に乗り込みSophiaに帰還。

Bergium人の彼女とはバス停で別れ、僕はHostelへ。

相変わらず、日本人の出入りの多いHostelで、僕はこの日久々の日本語を話しまくったのだった…。

テーマ:とりあえず書いとこ ~ф(゜゜) - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |

琴欧州の母国Bulgariaにて(ヨーロッパ周遊45日目)

2008年4月1日。

さて、ほぼ一睡も出来ずBulgariaの首都Sophiaに到着。

東ヨーロッパらしい、どんより感がたまらない。

まずは売店で路面電車のチケットを買い、予め調べておいたHostelに行く。

…が、思っていた場所にない。

確かに地図ではそこにある事になっていたが、Bulgaria人のお爺さんが出てきてなにやら言っている(まったく英語が通じない)

彼が電話をかけると、電話の向こうから英語で

「移転したんだ。○○○の通りに来て」

と説明が。

言われた通り行くと、明るいBulgaria人が迎えてくれた。

Hostel内部は非常に明るい。

かなり居心地が良さそうな場所だ。

そして、もう一つ日本人が多い。

客の半分近くが日本人だ。

というのも、まずはSophiaの地理的な条件が挙げられるだろう。

アジアとヨーロッパの境目は一般的にTurkeyのIstanbulと言われる。

そしてそのIstanbulへヨーロッパから向う、ないしはIstanbulからヨーロッパへ向う、その時にここSophiaは起点となるのだ。

もちろん僕もその一人。

全く寝れなかった僕はとりあえずHostelで昼寝。

そして、それから街へ繰り出してみる。

…で、それが一国の首都とはとても思えないくらい暗い。

P4020050.jpg

P4020051.jpg

その貧しさが人々から、町並みからありありとわかる。

同じ首都でも東京なんて、全く比較にならない。

福岡の周辺都市と比べてもいい勝負だ。

一説にBulgariaには美人が多いと言うが、着飾る余裕すら感じられず、美人に出くわす可能性は他のヨーロッパ諸国にくらべ遥かに低い。

Bulgariaのイメージと言えばヨーグルトだったり、琴欧州だったりするわけだが、正直僕の第一印象は「暗い」。

黒海周辺の街に行けば富裕層も結構いるらしいが、はっきり言って「発展途上国」の類になるだろう。

そんなある意味で刺激的な!?Bulgaria初日は何もする事もなく終わって行く…。

テーマ:本日の日記 - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ベオグラードの休日(ヨーロッパ周遊44日目)

2008年3月31日。

この日は前日から宿泊させてもらったVojislavの家でお目ざめ。

前日に知り合った日本人にやたらと優しいVojislav。

彼の優しさは底なしだ。

この日は一日彼の家でゆっくりさせてもらった。

中欧に入ってかなりのペースで移動を重ねていたので、何もしない日があってもいい。

昼食はお客が絶えることがない、ケバブ屋に連れて行ってくれた。

前の記事でも書いたように、歴史的背景からトルコの文化は非常に色濃く残っている(特に食に関しては)

こんな時も、彼が必ず奢ってくれる。僕が財布を出す機会は遂に初日のHostelとSerbiaからBulgariaへ向かう汽車賃のみとなった。

その時は感謝というより申し訳ない気持ちが強かった。

Serbia人の人々は非常にフレンドリーで(とても民族紛争をしてきた国とは思えない)、そして英語もみなある程度喋れる。

それでもSerbiaの物価、町並み、人々の服装、車等を見ていると決して裕福な国とは言えない。

余談だが、公共の交通機関の車両はBelgradeではよく日本製のものがかなり走っている。(どうやら譲られたものらしいが…そのため日本人への理解はある)

負の歴史を背負いながらも、そして裕福ではなくとも真っ直ぐに生きていく様は僕の好きなLithuaniaのイメージにも通ずる。

決して豊富な観光資源があるわけでもなく(ちなみに旧ユーゴで観光で一番成功したのはCroatia)、他人にお勧め出来るような国でもないのだが、また好きな国が一つ増えた…またそう思わせてくれる友人に出会えた僕は幸せだ。

この日は図々しくもVojislavにインターネットを使わせてもらい、ゴールデンウィークに日本からヨーロッパ旅行を検討していたManshoと連絡を取り合い、彼と旅の途中でスイスで合流し、イタリア、そしてマルタへと僕と旅を共にすることに決めた。

今、思えばこの時間があったからスケジュールを決めるのにも余裕がでたと言える。

そしてその晩僕はBulgariaのSophiaに向けて夜行で出発する事にする。

その日仕事だったAleksandarも駅に駆けつけてくれた。

彼らの手厚い歓迎のおかげで何と僕が丸3日いたSerbiaで使ったお金は宿泊、移動も含めて約6000円だった…あり得ない…ありがとう。

ここでチケットを買ってると駅員が

「ドウモアリガトウ」

どこで覚えたのだろうか。まあ日本人の客もたまに来るんだろうが、ちょっと驚いた。

そして記念撮影

P4010046.jpg

P4010048.jpg

Serbiaと聞いてPositiveな印象を持つ日本人はそう多くはないかもしれない。

だけれど、僕は本当にそこでしかあり得ない時間を過ごした。

そして、列車が走りだすまで見送ってくれて

P4010049.jpg


絶対にまた会おう。

そして再び夜行で国境を越え、14カ国目Bulgariaを目指す。

国境ではPassportの証明写真とすっかり姿を変えてしまった僕は1分以上もPassportチェックにきた係員2人にジロジロ顔を見られる…。

さらには電車はトイレに行けば便器の下には今まさに走っている線路が見え(つまり常に"放出状態")、キャビンは隙間風が吹く。

眠れない夜は果てしなく長い…。

P.S.
帰国後Aleksandarからは一度電話があった。
そして来年、彼らは来日を検討しているのだという。
Serbiaで受けた恩は2倍返ししないと。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |

大阪での新生活。

大阪での新生活も来週で4週目。

とはいっても残りもあと2か月ちょっと。

2月の中旬には東京に引っ越し日本橋付近で働く。

僕の業種は以前にも書いたように商社…なのだが、イマイチピンとこない方も多いだろう。(僕も会社に入るまでいま一つイメージできてなかった)

簡単に言えば物を国内または海外の企業から買い、それを海外または国内に売る…そういう仕事。

ただ、僕が出向する東京の企業はバリバリの専門職。

何を売るかと言えば、船のエンジンを売るのだが、それも一つのエンジンが車一台よりもはるかに大きいようなエンジンを売る。

その価格は言うまでもなく高額なのだが、僕はそれを海外向けに売る部署への配属となる。

同期と僕とで台湾と韓国のどちらかをメインで担当する事になるらしい。(もちろんその他のエリアもカバーするわけだが)

仕事も単純に海外の企業へ出向きエンジンを売れば言いというものではない。

お客さんが日本へ来たときの立ち会いや、不具合が起きた時の対応なども求められる。

海外営業と聞くとアレだが、決して華やかな仕事ではなく細かい気遣いが求められる。

先週も韓国とインドからお客さんが来日し、その立ち会いに参加するという事で滋賀にある工場へ行ってきた。

今回、初の立会だったので僕が果たす役割というのはなかったのだけれど、僕にとってそれはまさに小学生感覚の「工場見学」

見るもの全てが新鮮で、と同時にそこでは何百という人がエンジンを作るという仕事に従事し、重油の匂いやエンジンの爆音の中で仕事をされている方がたくさんいらっしゃった。そしてそれを売る自分の仕事にも責任を感じるようになった。

また、もちろん海外のお客さんの「接待」もしなければいけない。

出向後は住まいは東京になるものの、出向先の本社も大阪、そして工場は滋賀というのはずっと変わらない(僕の会社も大阪だし)ので、頻繁に関西に来ることはあるだろう。

そうするとやはり接待の場所として「京都」に詳しくなるのも必要らしい。

とにかく海外営業と一言で言っても、僕の果たさなければいけない役割は多く、1年や2年で一人前になれそうもない…けれど根気強く着々とやっていくしかないというのが、この3週間でわかった。

しかも、単純に出向先の営業として単純に染まってしまえばいいかというとそういうわけにはいかず「商社マン」として仕事に臨まないといけない。(お客さんからみたら出向先の社員なのだが)

単純に営業を募集するなら今回僕と同期をわざわざ他者から出向で雇わず自社で雇えばいいわけだし、今回僕の会社に出向社員を中途で僕の会社に依頼したのにもそれなりにわけがある。

そうやって出向社員として、数年以上海外で活躍されている先輩社員もいて、僕もいい意味で出向先でずっと活躍出来るようになりたい。('使えない'と判断されれば送り戻されるだろう)

お酒の付き合いも前職に比べれば遥かに増えた。

3週間の間、会社の方達と飲む機会が既に4回あった。週1以上のペース。

そして駅前留学も週3ペース。Business writing、Business English、そしてGeneral Englishを平日の仕事の後に受けている。

やはり商社に勤める以上「英語」そして「お酒」の2つは欠かせない。僕もそれが条件で採用してもらったわけで。

平日は割と忙しくしているが、週末は逆にやることがない。

関西には残念ながらそれほご知り合いはいないので、なかなか退屈だ。

先週はMalta時代の同期であるHiroと紅葉で賑わう京都へ。

PB300137.jpg

PB300017.jpg

PB300002.jpg

とにかく人が多かったが、こういう季節に簡単に京都にいけるのも大阪に住んでいるからこそ。

来週は母親が大阪に遊びに来るらしいので、再び行く事になるかもしれない(僕自身の京都の知識を深めるためにも)

先日はMalta時代の友人Ryokoが仕事で大阪に来たので、大阪に住むもう一人のメンバーAzuとも合流し、ご飯を食べに行った。

出身も年齢もバラバラな僕らだけれど、共通の経験があるから話題には事欠かない。

そんなこんなで休日を持て余してしまう事を除けば僕の大阪での生活は非常に充実している。

東京での生活も楽しみではあるけれど、思ってた以上に大阪はいいところだ。

これからも肝臓と体重にはくれぐれも最新の注意を払って、この新しい生活を楽しみたい。

テーマ:小さなしあわせ - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

雑感 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ドライブinセルビア(ヨーロッパ周遊43日目)

2008年3月30日。

この日も朝からAleksandarとVojislavと集合。

この日から再びサマータイムが始まり、集合時間の調整でちょっと混乱があった。

この日は、彼らと彼らの友達と僕とでセルビア東部の街へ遊びに行くという。

そしてセルビア人4人と僕とで楽しいドライブが始まる。

余談だが、Aleksandarは僕の問いかけにYesの時は日本文化によほど興味があるのか「ハイ」と答える。これが愉快でたまらない。

後は働きすぎの日本人にも興味津津「カロウシ」の事をしきりに聞いてくるが、彼の発音は「コロシ」にしか聞こえない。

さて、まずは目的地への途中にあった何かしらの遺跡に到着。(とにかく下調べなしに来た国なので彼らの連れて行ってくれるがままのドライブだ)

P3300025.jpg

P3300028.jpg

だいぶ風化が進んでいる。

驚くことにここには観光に来ている日本人親子がいた。

聞くところによると、家族でBelgradeに住んでいるという。

Serbiaでビジネスをしているか、ないしは大使館等で働く政府関係者なのかもしれない。
さて、楽しいドライブは続く。

そして、2時間は走っただろうか。

目的地に到着。

そこはもうRumaniaとの国境沿いの町。Rumaniaが幅の広い川の向こうに見える。

そこで写真撮影。

P3310032.jpg

P3310035.jpg

またそこにはSerbiaの自然が

P3310037.jpg

すれ違う人は僕の事をジロジロ見る。きっと数年に1度しかお目にかかれないアジア人なのだろう。

またそこにある、開店休業状態のホテルのレストランでみんなでお食事。

P3310039.jpg

P3310040.jpg

とにかく、自分がいまどこにいるのかすらわからないそんなドライブだったが、旅の出会いから繋がった不思議な一日だった。

きっと僕が行ったところはBelgradeから100キロ以上離れた場所だったんだろうけど、そんなところへ知り合ったばかりの日本人と付き合ってくれたみんな…ありがとう。

そしてその晩はVojislavの家に泊めてもらう。

とにかくVIP待遇だったSerbiaの一日だった。
ブログ | コメント:0 | トラックバック:0 |

聞いた事しかない「ベオグラード」にて(ヨーロッパ周遊43日目)

2008年3月29日。

朝目覚めると、もうBelgradeの一歩手前まで来ていた。

Mainの駅の手前の駅で一度停車したが、同乗していたPoland人は一度来た事があるらしく、そこは降りるべき駅ではない事を教えてくれた。

そして、Belgradeに到着した僕はそのPoland人とがっちり握手して別れ、あらかじめ予約しておいたHostelへ…。

…が玄関でインターホンを鳴らしてもウンともスンとも言わない。

結局そこで30分は待った。…が誰も出てこない。

しかし、幸運だったのはHostelの内部から出るワイヤレスの電波をキャッチできた。なので、それで新たにHostelを探した。

開かないHoetelの玄関の前で開かないHostelのワイヤレスを使って次のHostelを探す僕。なかなかたくましくなったものだ。

そして、別の場所のHostelを見つけそちらへ移動。

ちなみに開かなかったHostelの玄関の張り紙に最後の抵抗として落書き

P3290012.jpg

良い子は真似しないように。

情勢的に心配していた治安だったが、全くと言っていいほど危険は感じず穏やかな朝。

一つ困ったのは彼らが日常生活で使用する文字はアルファベットではないということ。

これは困った。Hostelの住所がわかっても通りの表示があってもそこに何が書いてあるかわからない。(そういう意味では日本に来た外人も大変だろう)

なんとか次のHostelに到着するなりViennaのHostelで知り合ったAleksanderに連絡を取り、彼との待ち合わせ時間を決めた。

僕は仮眠を取っていざ彼と待ち合わせ。

Viennaで会って以来に会う彼。

僕と同い年の巨漢な♂だ。

そして彼の友達のVojislavも合流。彼らの案内でBelgrade観光が始まる。

Serbiaは常に民族間の争いが絶えず、暗いイメージもあるがすくなくとも街中は東欧にしては明るい。(もちろん暗い場所もたくさんあるが)

そして彼らは市内の公園に連れて行ってくれた

P3300013.jpg

P3300014.jpg

彼らの説明によれば昔長年にわたってオスマントルコの支配下にあったこの国は、トルコの文化の影響を強く受けているらしい。

しかし、歩けども日本人らしき人とはまったくすれ違わない。

僕はここでは完全に異国の人だった。

そして、彼らと一緒にBeerを飲む。

P3300016.jpg

本当にSerbia人はいい人だ。

ただ、街中には未だにNATOの空爆跡が残されていたりもする

P3300018.jpg

彼らはその爆撃の正確性を褒めていたが、それがどういう感覚なのかは僕にはわからない(Serbiaでは彼らは前衛的な考えの持ち主なのかもしれない)

そしてさらには彼らの友達も合流して「誕生日会」に行くのだという。

一度も会ったことのないSerbia人のためのSerbia人だらけの誕生日会に参加することになった僕。

会場はマンションの一室でこ洒落た雰囲気の部屋だった。もちろんそこでは99%セルビア語が飛び交っている。

そんな会場の様子

P3300020.jpg

P3300021.jpg

P3300023.jpg

P3300024.jpg

はっきり言って、この場に日本人がいることは奇跡以外の何物でもない。

まったく来るつもりも、そして興味も特別なかったSerbia、そしてその首都Belgrade。

意外な場所では意外な展開が待っているものなのだ。

テーマ:それなりにがんばってんだよ - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |

さよならハンガリー、そしてセルビアへ(ヨーロッパ周遊42日目)

2008年3月28日。

この日はまず3泊を過ごしたHostelをチェックアウト。

そして、ViennaのHostelで出会ったAleksandarと連絡を取り合い、やはりRumania経由ではなく、Serbia経由で東へと進む事にした。

というのも、彼がSerbiaの首都Belgradeで「接待」してくれるというのだ。

たかが、Hostelが一緒になっただけというのにいい奴だ。

そのために、まずは駅でBudapest発、Belgrade行きの夜行列車のチケットを買う。

これが約3000円~4000円と結構安い。(所要時間は10時間なのだが)

そして、前々日にお茶の約束をしてくれたNoraと再び合流。

彼女は今、スペイン語教師をしていてその昼休みに時間を作ってくれた。

元々綺麗な英語を喋る彼女だが、この時はどこか「スペイン人英語」になっていた。

というのもスペイン人は英語を喋ってても語尾に、確認の意味で「No?」とつけることがあるのだが、Noraも全く同じ要領でその日はやたらと「No?」を連発してきた。

昔、数年Spainに住んでいたらしく、ほぼ完璧にSpain語を操るようだがその癖が英語にも影響していたのかもしれない。

本当に時間を見つけては会ってくれた彼女だったが気を使わせまいと

「あなたを使って英語の練習をしているの」

と、言ってくれた。

そして、そんなNoraともお別れ。

Hungaryという中欧の小国に友達がいることの幸せを実感したそんな3泊4日だった。

列車の時間まで時間に余裕があったから再びBudapestの街を見てまわる。

P3290009.jpg

そして、夜行列車に乗り込むわけだが、この辺りの国の列車というのは日本では田舎でしか見られないような「古典的」なものだ。

駅に列車が入ってくるとまだ止まっていないのに乗客は扉をあけ、我さきにキャビン(座席に仕切りがある)へと入っていく。

そして、僕が陣取ったキャビンにはBudapestで働くPoland人が入ってきた。

実はこの時Serbiaは問題を抱えていた。

というのもコソボ(Serbiaの領地内)が独立し、それに反発したSerbiaと小競り合いが起き、さらには独立を承認した国々への反感が強まっていた。

まず標的となったのはAmericaで、それに追随し!?日本も承認したので外務省のHPで渡航に関して危険勧告が出ていた。(僕も最低限調べて行った)

…で、そんな場所にそのPoland人はカメラを抱えて

「Hot placeを撮りに行く」

といってニヤニヤしていた。世の中モノ好きはたくさんいる。

しかも危険の度合いは当然首都のBelgradeよりもコソボ周辺の方が高いわけだが、彼はいかにしてそこに行くかを考えていた。

そんな彼と1つのキャビンを2人で占有し、少し語らって眠りにつく。

一度パスポートチェック(この旅3度目(1度目はGermany→Latvia、2度目はLithania→Poland)Euroの協定に参加している国の間では基本的にチェックはされない)で起こされたが、そこを越えればSerbia。

僕はこの旅で13カ国目に入った。

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |

センテンドレで愛宕浜(ヨーロッパ周遊41日目)

2008年3月27日。

さて、この日はNoraがおススメしてくれたSzentendreに行く事にする。

SzentendreへはBudapestの駅から日帰りで行ける、風光明媚な場所。

この日はOxford時代の友人Kanaと合流したので、一緒にいざSzentendreへ。

この日は非常に天気のいい一日だった。

到着後すぐに散策を開始。

確かにある程度観光地化はされているが、落ち着きのあるいい街だ。

P3270002.jpg

P3270005.jpg

イメージとしてはPortugalでいったObidosに近いかもしれない。

やはり僕にはこういう街の方が向いている。

都市部にいるより、遥かに心が安らぐ。

そしてKanaと2人で休憩していると、Haugary人と思わしき若い♂2人が写真の「撮り合い」をしている。ヨーロッパの男たちはなぜか1人でポーズをとって写真に収まるのが好きだ。

それを

「外人ってああやって写真撮るの好きよね~」

「日本語が通じないからこの会話が聞こえてもNo problemだよね~」

なんて、日本語が通じない事をいい事にどうどうど喋ってるとそのうちの一人が

「ニホンジンデスカ???」

と日本語で話しかけてきた…。

「えええええー!!!!!」

まさかの展開である。金髪の若い♂がHungaryの小さな田舎町で日本語で話しかけてきたのだ。

彼の名はTibor(ティボ)。Hungary人の17歳。なんと日本に1年間留学していたらしい。若いのも手伝ってか、彼の日本語はレベルが高い。

しかし驚きはまだ続く。

住んでいたのが、世界的にはマイナーといえる我が街福岡だというのだ。

彼が住んでいた場所は福岡県福岡市愛宕浜。

まさかHungary人の口からここまでマイナーな地名を聞くことになるとは…。

僕のテンションはみるみる上がる。

「俺も福岡からきたっちゃん!」

僕の博多弁がHungary人の17歳に通じる。またまた奇跡の出会いだ。

彼は僕が博多弁を使う度、クスクスと笑う。

彼曰く

「標準語は嫌い、博多弁か大阪弁がいい」

らしい。どこまでも"通"な少年だ。

そんな彼とはもちろん連絡先を交換し別れた。

僕の

「福岡で待っとうけんねー」

の言葉に笑顔で手を振った彼の姿が今でも忘れられない。

Szentendre自体いい街だったのに、彼との出会いで僕の旅の特別な思いでがまた増えた。
本当に何が起きるか分からない…それが旅の醍醐味だ。

P.S.
この日の後も少し連絡をとっていたし、この記事を書きながら再び彼に連絡を取ってみようと思うようになった。
きっとまた会える気がする。

テーマ:(・∀・)ららーん - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |

Noraと再会…東欧の真珠ブダペスト(ヨーロッパ周遊40日目)

2008年3月26日。

旅の折り返しとなったこの日…午後からMalta時代の終盤(一番酒におぼれていた時代)を共に遊んだHungary人、Noraと会う約束があった。

ただ、それまで少し時間があったので東欧の真珠とも呼ばれるBudapestの街を散策する。

P3260125.jpg

さすがと言うべきが街が綺麗。

ただ、物価は再び東欧価格といった感じで非常に安い。

街の綺麗さと物価とが合わない街と言える。

その後Noraと会うべく約束の時間に約束の場所へ。

そして再会。

久々に会うNoraは何も変わっていなかった。

彼女は歳は僕と一緒なのだが、英語は僕よりも全然ペラペラでさらに芯の強い女性といった印象をMaltaにいた頃から受けていて、Maltaにいた頃は時折辛辣な発言もしていたので少しビビっていた。

だが、会うなりすぐに名物のチョコレートをくれ、すぐに打ち解けた。

彼女は僕に丁寧にいろいろと説明してくれながらBudapestの街を案内してくれた。

彼女の英語は聞き取りすいが、ハイスピード。これもMaltaの頃から変わりない。

Noraが喋るHungary語も生まれて初めて聞くことになったが、Hungary語というのは実にソフトだ。英語を喋る彼女とは別人に見えるくらい、やわらかい。

僕がMaltaにいた頃抱いていた、彼女の印象と本当の姿は少し違うかもしれない…そう感じた。(実際に本当に丁寧にそして親切に案内してくれた)

そしてさすが、地元の人は知っている。彼女が教えてくれたドナウ川沿いのBudapestの夜景は中欧で撮った写真のベストの1枚となった。

P3270132.jpg

この日も1日寒かったが最後に素晴らしい夜景が見れた。

そしてNoraともお別れ

P3270135.jpg

しかし、僕がBudapestを去る翌々日にもまたお茶する約束をしてくれて別れた。

どこまでも優しい…。

同い年ながら6ヶ国語を理解し(母国語、英語に合わせて英語と同等レベルのフランス語、以前住んでいたスペイン語、祖父の母国ギリシャ語、そして政治的因果関係?のロシア語)、そして非常に勉強熱心なNoraの姿には僕も刺激を受けた。

さて、次の日はNoraお勧めのSzentendreに日帰りで行く事にする。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

 よければクリックをお願いします。

ヨーロッパをぐるっと回る。 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。