竹的雑感記~ヨーロッパ生活…その後~

ヨーロッパでの経験を活かし…東京砂漠で奮闘中。

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雪山にでも行こう!Kayaとも再会(ヨーロッパ周遊55日目)

2008年4月12日。

Bursa2日目。

この日はCanと共に、Bursaの観光名所の一つである何とかいう…(名前を失念…)山へ行くという。

この時、もちろんトルコにも春がやってきていた。

しかし、山の上はというと…

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まだまだ雪が残っていた。

スキーシーズンは終わっていたが、20度前後ある麓からわずか1時間弱上に登っただけでこんなにも景色が違うとは…。

そして、山へ来た事で僕に弊害が一つ…。ヨーロッパでまさかの花粉症を発症。

元々、花粉症持ちだったけれど、まさか海外でそれに悩まされる事になるとは…。

鼻水ずるずるで下山した僕は、同じくBursaに住んでいるというMalta時代の友人Kayaと連絡をとってみる。

CanとKayaは全く面識がないようだが、彼らがトルコ語で話した方が話が早いので、CanにKayaを呼んでもらう。

ちなみにKayaは僕がMaltaに行って最初のクラスメート。

僕のMalta初日のあの日の事は今でも忘れない。

僕はわけもわからず一つのクラスに振り分けられ、そしてたまたま座った僕の席のとなりには、大きな体のいかつくそして態度のでかい男が座っていた…それがKayaだった。

僕はその授業で先生の言っている事が全く理解できず「海外生活」の壁にいきなりぶつかったのだった。

そして、クラスメートの僕は皆授業にちゃんと参加できていて、僕はクラスメートは皆雲の上の存在だと思っていた。

しかし、久しぶりに再会したKayaはというと…Maltaを離れてから英語を話す機会が全くないようですっかり英語の大半をわすれているようだった。

そんなKayaの写真

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何と、彼は僕より一つ年下。

奇跡の年下だ。

KayaとCanと僕はBursaの街でお茶をして、そしてその後、僕とCanはCanの従兄弟と食事をする事になり、Kayaがそこまで送ってくれた。

そのKayaの運転が荒いこと…下手なジェットコースターよりよほど怖い。

久しぶりに会ったKayaは英語はだいぶ忘れたものの、相変わらず暖かな面白い男だった。
Kayaと別れたあと、かなり良さげなレストランで会社を経営しているCanの従兄弟に素晴らしいトルコ料理(主に羊のお肉)を御馳走になる。

やはり、Maltaで学んでいたトルコ人は皆、近い親戚にお金持ちがいるものだ。

そんなトルコを巡る旅で僕はどんどん増量していく…。

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ブルサに到着(ヨーロッパ周遊54日目)

2008年4月11日。

夜行バスに乗り込んだ僕の次の行先はイスタンブールにほど近い街Bursa(ブルサ)。

そこではMatla時代の終盤を一緒に遊んだCan(ジャン)がいる。

早朝、Bursaのバスターミナルでバスを降りると既にCanが僕の事を待ってくれていた。

とうのもAhmetがCanに対して、トルコ語でペラペラと僕の到着時間等の詳細を伝えてくれていた。

ちなみにAhmet曰く「Canのトルコ語は早すぎてわからない」らしい。

久しぶりに会うCanだが、相変わらずデカイ。

190CMを越す巨漢の、しかしながら優しい眼の青年だ。

彼はまず家に僕を招き入れた。そこでは優しそうな彼の母親が迎えてくれた。

僕のために早起きしていたCanは少し仮眠、そしてその後トルコの温泉に行く。

ハンガリーで久々に湯に浸かっていたが、トルコのそれはハンガリーのものに比べ遥かに熱々。

Canには背中を洗い流してもらい、僕は超リラックス。

その後は少し、Bursa観光。

そして再び、Canのお家で昼ごはん

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汚い見た目の日本人と、仲の良いトルコ人親子。

しかし、トルコの食事は毎食パワフルだ。

僕が帰国かなり増量していたのも、トルコでの食生活による影響が大きい。

その後、彼の友人と合流…というのもここBursaにはCanの他にも同時期をMaltaの同じ学校で過ごしたメンバーがいるらしい。

僕も時期は被っているものの、名前も聞いた事がないメンバーだ。

そして合流…やはりお互いの事を知らなった。

間違いなく、学校やナイトクラブですれ違っているはずなんだけれど…。

しかし、何より楽だったのは彼らが英語を喋ることだ。

メンバーの一人、Teoのお家にお邪魔して記念撮影

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その後は、このメンバーと共に海辺の街にコーヒーを飲みに行く。

お互い、Maltaでは縁がなかったけれど、同じ時期を同じ場所で過ごしていたので共通の話題には事欠かなかった。

そんな彼らにも散々お世話になり、Bursa初日は終了。

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コンヤを歩く、コンヤを離れる(ヨーロッパ周遊53日目)

2008年4月10日。

この日はAhmetの通う大学に行く。

そこには当たり前だが、トルコ人学生がたくさんいた。それだけまとまって若いトルコ人を見るのは初めての経験だったが、そこにいる学生はいい意味で、明らかに顔立ちの違う東洋人の僕のことを気にしない。

トルコ全体で言えた事がだが、東欧の国々を比べれば外国人に対するアレルギーが少ないようだ。

リトアニアでなんて、僕は後ろ指さされまくりだったのに。

Ahmetが僕を大学の英語の授業に参加させようとしたが、残念ながら教授に追い出されてしまう…。

その後はメヴェトラーナというコンヤで…いやトルコで有名なモスクを見に行く。

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そこにはやっぱり日本人観光客の団体が…。

日本語ペラペラのトルコ人ガイドが彼らに付いていたので、そのガイドの説明を盗み聞き。

逆にトルコ人のAhmetにはそれがわからない。

その後、コンヤの街中でAhmetと共にチャイを飲みながらトルコのボードゲーム?に興じる。

遊び方はその時、Ahmetから教えてもらったが、何と僕が全勝してしまう…。

そして、夜はAhmetと共に再びレストランへ。

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Ahmetのイケメン親友、Mustafa(ムスタファ)とお料理。

コンヤでAhmetが僕に食べさせてくれた料理は全部おいしかった。

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コンヤで楽しく遊んだ彼らともお別れ。

Ahmetとは日本での再会を約束したが、その後帰国直前のLondonで会う事になる…だけどそれはまた別のお話…。

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コンヤに行く(ヨーロッパ周遊53日目)

2008年4月9日。

前日に、一日丸々カッパドキア観光をしたので、この日は移動日。

Hotelをチェックアウトする前、同じHotelに日本人がいたので少し話してみる。

どうやら宮崎からいらっしゃった方のようだったが、何と共通の知人がいてちょっと驚く。世間は本当に狭い。

僕はその頃、既に次のステップ…つまりは帰国後の事を考え始めていた。

何せ、それから一ヶ月半後には僕はもう日本にいるのだから。

そして前職はSE(システムエンジニア)という技術職たったにも関わらず、次は営業等の職種へ飛び込もうと僕は考えていた。

そんな話を、この日本人の方にすると

「あなたには営業のような職種がむいてるのでは?」

と言ってくださり、それは僕の気持を背中からポンと押されるような一言だった。

わずか20~30分の会話だったが、その方は僕に自信を与えてくれた。


さて、次の目的地は、Malta時代の友人Ahmet(アハメット)のいるKonya。

Maltaでの彼の印象は、とにかく人懐っこく明るい青年といった感じ。

Goremeのバス停から、Konya行きのバスに乗り込み移動開始。

さすがトルコ…バスでの移動は行き先がある程度の大きさの街なら全くと言っていいほど困らない。

4~5時間は乗っていただろうか…バスは目的地のコンヤに到着。

そして、30分ほどしてAhmetが現れた。あ~、懐かしのAhmet。

彼はハナからテンション全開だ。

彼は友人と一緒にいたが、友人らは全く英語を喋れないようだった。

しかし、AhmetもまたMaltaに来た頃はBeginnerクラスからスタートし、ほとんど英語力のない「ごく普通の」トルコ人だった。

そして半年に及ぶMaltaでの生活で、彼の英語を飛躍的に伸びた。

まずは、彼の親戚が経営する会社に招かれる。

オフィスには彼の叔父や従兄弟が働いていて、彼の机もまたそこにある。

その会社ではコンテナを運ぶトラックを取り扱っているらしい。

経営者一族である、彼の親戚は皆いい車に乗っている。

そして、突然来訪した僕にもお手伝いのような人がオレンジジュースを出してくれる。

その後AhmetにKonyaのレストランに連れて行ってもらう。

そして、21歳の彼は27歳の僕に奢ってくれる…。

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コンヤはおいしいところだ。

そして夜は、彼の従兄弟と共にドライブ。

Ahmetは従兄弟と非常に仲良くしているらしく、しょっちゅう一緒に遊んでいるらしい。

途中、その従兄弟の家にも立ち寄る。

突然の極東からの来客にトルコの一般家庭は驚きを隠せないようだった。(逆に、いきなりトルコ人が前触れなく日本の家庭に遊びにいったら驚かれるように)

しかし、トルコ人はみな温かい。

どうやら、客人は神様が連れてきたという考えを宗教を通じてもっているらしい。

そんなAhmetの従兄弟たちと。

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Ahmetの従兄弟はみなイケメンだ。

そしてその夜は彼の学校の友人たちと、学校の寮で雑魚寝する。

トルコ人7~8人に僕一人というシチュエーションで…。

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カッパドキアで転倒!(ヨーロッパ周遊52日目)

2008年4月8日。

さて、前日に到着したカッパドキア。

この日は一日カッパドキアを観光する事にする。

カッパドキアとは街の名前ではなく、奇岩群が密集するエリアの事をいう。

僕が宿泊していたのはGoreme(ギョレメ)という街、そこにはホテルも多く、カッパドキアの拠点となる街の一つだ。

カッパドキアの観光方法としては、普通にツアーに参加する方法と、バイクをレンタルして自分で観光する手法とある。

という事で、貧乏な僕は後者のレンタルバイクを選択。

そして、バイクを借りたがいいがそこは右側通行の国だ。

バイクを借りてすぐ道路に出たはいいが、対向車線から車が走ってきて一瞬ビビる…。

それまで運転してきた国は、母国日本、マルタ、イギリスと全て左側通行の国だった。習慣というのは恐ろしいものだ。

カッパドキアは非常に宗教との関わりが強い地域でもある。どうやら古くはキリスト教との関わりがあった場所のようだが、今そこを管理しているのはガッツリイスラム教徒なトルコ人だ。(カッパドキアが何たるかに興味のある方はWikipediaででも調べて下さい
)

そこにはその昔、多くの人々が居住していた地下施設があったり

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僕は一人ぼっちなので、たまにすれ違う英語ガイド付きの団体にどさくさに紛れて混ざったり。

確かにここはトルコでも有数の観光地だという事はうなずける。

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但し、この日僕に不幸な出来事が…。レンタルしていたバイクで転倒してしまったのだ。

カッパドキア周辺の道路は最低限舗装はされているものの、その路肩は砂利だらけ。

バイクの下手にそこで止めようとすればいとも簡単に転倒してしまう…。

まあ「多少の」修理代は後から請求される事になるのだが、僕自身は全くの無傷だったのでよしとしよう。

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その夜は泊まっていたHotelでヨーロッパチャンピョンズリーグの準決勝、トルコのクラブであるフェネルパフチェ(ちなみに監督は当時はあのジーコ)とイングランドのチェルシーによる第2戦をテレビで見た。

もちろんトルコにいる僕はフェネルパフチェを応援した。(残念ながら負けたけれど)

そういえば、旅の途中バルセロナでベスト16の試合だったバルセロナーセルティックの試合を見た(しかもタダで)

ヨーロッパではどこでも皆Footballに熱狂する。

今回はテレビだったが、そういう場面にたまたま居合わせることが出来るのもまた旅の面白さ。

バイクでの転倒は痛かったが、それでも旅は順調だ。

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ハンガリーからのメール、セルビアからの年賀状。

この年末年始、海外から嬉しいメールと年賀状が僕の元へ届いた。

一つはハンガリー人TiborからのE-mail。

彼は何と福岡に1年留学していたという、未だ10代の青年。

彼との出会いの詳細はこちらから

http://masatakeblog.blog105.fc2.com/blog-entry-241.html

わずか1年で彼は日本語をかなりマスターしたらしく、彼からはローマ字でメールが届いた。(しかも一部博多弁で)

Yoo Masa!!!
ima ore hangarii no shuto ni budapesto ni iruyo!! daiichi daigaku (ELTE) no nihongogakkani kayottenda. chuugokugomo naraiyouto :D
shigoto tte nansuka? kekkou ironnatoko ikanakuchanarannone.
iito? fukuoka koishikunai?
osoi jikan ni hnji shichatte sumanya!!
jya mata kiga muitara henshin chouudai!!

そして、僕が福岡の写真を添付して送ったところ…

shashin arigatou!!
meccha natsukashii
waa kaeriteena!!!
kondo oremo xmas no shashin okurune!!

という返信が。

「帰りてぇなぁ」って…どっちが故郷なんだよ!という感じ。


そして旅の途中、セルビアで一緒に遊んだセルビア人の皆(Beara、 Aleksandar、Slavica、Simovic)から、ベルギーより年賀状が送られてきた。

今、その年賀状の写真がないので…

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これはそのみんなでセルビアの東の果てまでドライブに行ったときの写真。

彼らには何かお返ししとかないと。

僕はすっかり日本での生活に戻ったけれど、それでも彼らとの縁は続いている。

日本の人脈はもちろん、彼らとの繋がりもまた僕の財産だ。

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2月16日に。

前の記事でも書いたけれど来月、いよいよ東京に行く。

本当に「いよいよ」という感じ。

僕は就活をするにあたって「東京勤務」を一つの希望としていた。

別に東京に憧れる気持はまったくない。そこで働くことが敷居が高いかといえばそうも思わない。

むしろ、福岡で自分のやりたい事で就職出来ればそれが一番幸せへの近道である事はわかっていたこと。

ただ「Tokyo」は世界的に見ても最も大きな街の一つ。

そこで働くことで得られる特別な「経験」と「刺激」"だけ"を求めて僕は東京に行く。

そういう意味では将来的に海外駐在を目指すのも、「憧れ」でなくやっぱり「人生経験」のためでしかない。

僕の価値観だと、結局「人生いろんなもん経験したもん勝ち」だと思っているから。

そして2月16日から僕は、とある企業の海外グループで出向社員として勤務する事になる。

ちょうど1年前の2月16日…僕はLondonの空港を発ち、PortugalのPortoの街でその後3カ月に及ぶ、ヨーロッパ横断の旅を始めた。

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長髪をなびかせ髭も生やし、バックパッカーとなった僕はちょうどその1年後、東京でスーツを着て、オフィス街の一角でサラリーマンとして働き始める。

たまたまといえばそれだけだけど、僕自身の中にはすごい不思議な感覚がある(うまく言葉で言い表せないけれど)

今後、おそらくは3年だとかまたは5年という期間で間違いなく東京で生活することになると思う。

もしかしたら10年くらいいるかもしれないし、僕に決めれる事ではない。(多少希望は言えても)

その後の行先はLondonかNew YorkかSingaporeか大阪に戻ってくるか…。おそらくはその4つのうちの一つになるだろう。

とにかくまずは東京で新しい生活を楽しみたい。

P.S.
東京へは2月11日引っ越します。(住まいは千葉県浦安市です(駅から徒歩15分です))
部屋は1Kなので、引っ越し自体は1日もあれば完了しそうです。
なので、2月12~15日は事実上、連休になりそうなのでお時間のある方は遊んでください。
ちなみに2月10日には28才になります。
もうすっかりアラサーです。

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近況報告。

大阪、梅田のネットカフェより更新中です。

さて、僕のNew社会人生活も3ヶ月目に入りました。
会社にも随分と慣れて、最近は研修生活も正直退屈になってきました。

来月には東京に予定通り出向することになりました。

もう一度、おさらいしておくと
僕が勤めるのは中小の商社で僕の肩書きは一応「営業」です。
…が、まだ営業らしい事はほとんどしていません。
(仕事でお酒を飲む機会は前職の数倍になりましたが)

んで東京には、とあるエンジンメーカーの「海外営業」として出向します。
なので、名刺も商社とメーカーの2つ持つことになります。
何せ、外見は完全にメーカーの営業になってしまうわけで。

このご時世なので、いろいろと非常に厳しい状況なのは間違いないのですが、むしろ滑り込みで就職できたこと自体がラッキーでしたし、環境的にも恵まれているので、今のとこ全てが順調にいっているようにも思えます(もちろん油断はできませんが)

それからいろいろと来月から生活の内容も決まってきています。
住まいは千葉県浦安市、勤務地は日本橋付近です。

住まいは会社の上司に勝手に決められました。
上司曰く「俺が住みたいくらいだ!」
と、自信満々でちょっと楽しみな反面、何も知らないので不安もあります。
…が、借上げ社宅という形式上、僕に権限はあまりありません。

ということで、せっかく住み慣れた大阪の街もあと1ヶ月弱。
来月からは世界屈指の大都市東京砂漠でサラリーマンします。
東京にお住まいの友人のみなさん、来月からよろしくお願いします。

将来的には海外駐在!?なんて視野に入れつつまずは東京で名を上げたいと思います

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