竹的雑感記~ヨーロッパ生活…その後~

ヨーロッパでの経験を活かし…東京砂漠で奮闘中。

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輝ける最後の1週間。(前篇)

マルタ最後の1週間。

今までの人生でこれほど「1週間」を意識して過ごしたのは初めてだったかもしれない。
何せ、それまで当り前のように一緒に過ごした友達、5ヶ月以上もの間僕の住家だったオンボロDrayton。

僕は残りの1週間で全て、それらを離れなければならなかったのだから…。

確かに最後の1週間になってもそこを去る実感はないままだったけれど、逆にその覚悟は出来ていた。

説明するのが難しいけれど、とにかく「去る」という事がどういう事かを深く考えないようにした。

考えれば正直辛い気持ちになる。

だから1週間後に「マルタを離れる」という事実だけを飲み込んで、それ以上の事は考えなかった。

ここを離れる際

「やっと母国に帰れる」

とか

「マルタを離れることができて清々した」

という留学生も少なくない。

それはもちろん母国は恋しい。それにマルタは確かに国と言うには小さすぎるし、遊ぶバリエーションは他の国に比べ乏しいかもしれない。

それでも、マルタが僕の今のHomeだった。

「住めば都」

26年実家暮らしだった僕はここに5ヶ月半もの間、家族なしで生活を営み、奇跡的に!?生き抜いた。

そんな最後の1週間。

以前の記事でも書いた、ハンガリー人のNora、トルコ人のHulit、Can(ジャン)、そしてロシア人のNadya、Iraあたりと連日仲間に入れてもらいそして遊んだ。

IMG_3183.jpg


これはMdinaで雨宿りをした時の写真。

P1030621.jpg


P1030641.jpg


連日のPartyで僕の肝臓も相当な痛手を負ったに違いない。

そして最後のFlat生活は非常に落ち着いた、平和的なものだった。

P1030667.jpg


不器用な妻帯者の39歳トルコ人Ahmet(右から2番目)、僕の最後のRoomメートであり、フランス語なまりが強すぎる33歳Romain(ォホマン(日本語の発音では呼べない)(右から3番目))、そしてFlatで一番きれい好きでさらに料理の腕前もかなりのものな26歳トルコ人Burak(一番左)。

彼らと最後の時間を過ごせて僕はラッキーだった。

Flatメイトに関しては、完全に「運」なのだけれど、僕はかなり恵まれていたとマルタ生活を通して思う。

本当に本当に濃かった最後の1週間。

後篇はまた後日。
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