竹的雑感記~ヨーロッパ生活…その後~

ヨーロッパでの経験を活かし…東京砂漠で奮闘中。

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さよならハンガリー、そしてセルビアへ(ヨーロッパ周遊42日目)

2008年3月28日。

この日はまず3泊を過ごしたHostelをチェックアウト。

そして、ViennaのHostelで出会ったAleksandarと連絡を取り合い、やはりRumania経由ではなく、Serbia経由で東へと進む事にした。

というのも、彼がSerbiaの首都Belgradeで「接待」してくれるというのだ。

たかが、Hostelが一緒になっただけというのにいい奴だ。

そのために、まずは駅でBudapest発、Belgrade行きの夜行列車のチケットを買う。

これが約3000円~4000円と結構安い。(所要時間は10時間なのだが)

そして、前々日にお茶の約束をしてくれたNoraと再び合流。

彼女は今、スペイン語教師をしていてその昼休みに時間を作ってくれた。

元々綺麗な英語を喋る彼女だが、この時はどこか「スペイン人英語」になっていた。

というのもスペイン人は英語を喋ってても語尾に、確認の意味で「No?」とつけることがあるのだが、Noraも全く同じ要領でその日はやたらと「No?」を連発してきた。

昔、数年Spainに住んでいたらしく、ほぼ完璧にSpain語を操るようだがその癖が英語にも影響していたのかもしれない。

本当に時間を見つけては会ってくれた彼女だったが気を使わせまいと

「あなたを使って英語の練習をしているの」

と、言ってくれた。

そして、そんなNoraともお別れ。

Hungaryという中欧の小国に友達がいることの幸せを実感したそんな3泊4日だった。

列車の時間まで時間に余裕があったから再びBudapestの街を見てまわる。

P3290009.jpg

そして、夜行列車に乗り込むわけだが、この辺りの国の列車というのは日本では田舎でしか見られないような「古典的」なものだ。

駅に列車が入ってくるとまだ止まっていないのに乗客は扉をあけ、我さきにキャビン(座席に仕切りがある)へと入っていく。

そして、僕が陣取ったキャビンにはBudapestで働くPoland人が入ってきた。

実はこの時Serbiaは問題を抱えていた。

というのもコソボ(Serbiaの領地内)が独立し、それに反発したSerbiaと小競り合いが起き、さらには独立を承認した国々への反感が強まっていた。

まず標的となったのはAmericaで、それに追随し!?日本も承認したので外務省のHPで渡航に関して危険勧告が出ていた。(僕も最低限調べて行った)

…で、そんな場所にそのPoland人はカメラを抱えて

「Hot placeを撮りに行く」

といってニヤニヤしていた。世の中モノ好きはたくさんいる。

しかも危険の度合いは当然首都のBelgradeよりもコソボ周辺の方が高いわけだが、彼はいかにしてそこに行くかを考えていた。

そんな彼と1つのキャビンを2人で占有し、少し語らって眠りにつく。

一度パスポートチェック(この旅3度目(1度目はGermany→Latvia、2度目はLithania→Poland)Euroの協定に参加している国の間では基本的にチェックはされない)で起こされたが、そこを越えればSerbia。

僕はこの旅で13カ国目に入った。
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