竹的雑感記~ヨーロッパ生活…その後~

ヨーロッパでの経験を活かし…東京砂漠で奮闘中。

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聞いた事しかない「ベオグラード」にて(ヨーロッパ周遊43日目)

2008年3月29日。

朝目覚めると、もうBelgradeの一歩手前まで来ていた。

Mainの駅の手前の駅で一度停車したが、同乗していたPoland人は一度来た事があるらしく、そこは降りるべき駅ではない事を教えてくれた。

そして、Belgradeに到着した僕はそのPoland人とがっちり握手して別れ、あらかじめ予約しておいたHostelへ…。

…が玄関でインターホンを鳴らしてもウンともスンとも言わない。

結局そこで30分は待った。…が誰も出てこない。

しかし、幸運だったのはHostelの内部から出るワイヤレスの電波をキャッチできた。なので、それで新たにHostelを探した。

開かないHoetelの玄関の前で開かないHostelのワイヤレスを使って次のHostelを探す僕。なかなかたくましくなったものだ。

そして、別の場所のHostelを見つけそちらへ移動。

ちなみに開かなかったHostelの玄関の張り紙に最後の抵抗として落書き

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良い子は真似しないように。

情勢的に心配していた治安だったが、全くと言っていいほど危険は感じず穏やかな朝。

一つ困ったのは彼らが日常生活で使用する文字はアルファベットではないということ。

これは困った。Hostelの住所がわかっても通りの表示があってもそこに何が書いてあるかわからない。(そういう意味では日本に来た外人も大変だろう)

なんとか次のHostelに到着するなりViennaのHostelで知り合ったAleksanderに連絡を取り、彼との待ち合わせ時間を決めた。

僕は仮眠を取っていざ彼と待ち合わせ。

Viennaで会って以来に会う彼。

僕と同い年の巨漢な♂だ。

そして彼の友達のVojislavも合流。彼らの案内でBelgrade観光が始まる。

Serbiaは常に民族間の争いが絶えず、暗いイメージもあるがすくなくとも街中は東欧にしては明るい。(もちろん暗い場所もたくさんあるが)

そして彼らは市内の公園に連れて行ってくれた

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彼らの説明によれば昔長年にわたってオスマントルコの支配下にあったこの国は、トルコの文化の影響を強く受けているらしい。

しかし、歩けども日本人らしき人とはまったくすれ違わない。

僕はここでは完全に異国の人だった。

そして、彼らと一緒にBeerを飲む。

P3300016.jpg

本当にSerbia人はいい人だ。

ただ、街中には未だにNATOの空爆跡が残されていたりもする

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彼らはその爆撃の正確性を褒めていたが、それがどういう感覚なのかは僕にはわからない(Serbiaでは彼らは前衛的な考えの持ち主なのかもしれない)

そしてさらには彼らの友達も合流して「誕生日会」に行くのだという。

一度も会ったことのないSerbia人のためのSerbia人だらけの誕生日会に参加することになった僕。

会場はマンションの一室でこ洒落た雰囲気の部屋だった。もちろんそこでは99%セルビア語が飛び交っている。

そんな会場の様子

P3300020.jpg

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P3300023.jpg

P3300024.jpg

はっきり言って、この場に日本人がいることは奇跡以外の何物でもない。

まったく来るつもりも、そして興味も特別なかったSerbia、そしてその首都Belgrade。

意外な場所では意外な展開が待っているものなのだ。
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