竹的雑感記~ヨーロッパ生活…その後~

ヨーロッパでの経験を活かし…東京砂漠で奮闘中。

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ベオグラードの休日(ヨーロッパ周遊44日目)

2008年3月31日。

この日は前日から宿泊させてもらったVojislavの家でお目ざめ。

前日に知り合った日本人にやたらと優しいVojislav。

彼の優しさは底なしだ。

この日は一日彼の家でゆっくりさせてもらった。

中欧に入ってかなりのペースで移動を重ねていたので、何もしない日があってもいい。

昼食はお客が絶えることがない、ケバブ屋に連れて行ってくれた。

前の記事でも書いたように、歴史的背景からトルコの文化は非常に色濃く残っている(特に食に関しては)

こんな時も、彼が必ず奢ってくれる。僕が財布を出す機会は遂に初日のHostelとSerbiaからBulgariaへ向かう汽車賃のみとなった。

その時は感謝というより申し訳ない気持ちが強かった。

Serbia人の人々は非常にフレンドリーで(とても民族紛争をしてきた国とは思えない)、そして英語もみなある程度喋れる。

それでもSerbiaの物価、町並み、人々の服装、車等を見ていると決して裕福な国とは言えない。

余談だが、公共の交通機関の車両はBelgradeではよく日本製のものがかなり走っている。(どうやら譲られたものらしいが…そのため日本人への理解はある)

負の歴史を背負いながらも、そして裕福ではなくとも真っ直ぐに生きていく様は僕の好きなLithuaniaのイメージにも通ずる。

決して豊富な観光資源があるわけでもなく(ちなみに旧ユーゴで観光で一番成功したのはCroatia)、他人にお勧め出来るような国でもないのだが、また好きな国が一つ増えた…またそう思わせてくれる友人に出会えた僕は幸せだ。

この日は図々しくもVojislavにインターネットを使わせてもらい、ゴールデンウィークに日本からヨーロッパ旅行を検討していたManshoと連絡を取り合い、彼と旅の途中でスイスで合流し、イタリア、そしてマルタへと僕と旅を共にすることに決めた。

今、思えばこの時間があったからスケジュールを決めるのにも余裕がでたと言える。

そしてその晩僕はBulgariaのSophiaに向けて夜行で出発する事にする。

その日仕事だったAleksandarも駅に駆けつけてくれた。

彼らの手厚い歓迎のおかげで何と僕が丸3日いたSerbiaで使ったお金は宿泊、移動も含めて約6000円だった…あり得ない…ありがとう。

ここでチケットを買ってると駅員が

「ドウモアリガトウ」

どこで覚えたのだろうか。まあ日本人の客もたまに来るんだろうが、ちょっと驚いた。

そして記念撮影

P4010046.jpg

P4010048.jpg

Serbiaと聞いてPositiveな印象を持つ日本人はそう多くはないかもしれない。

だけれど、僕は本当にそこでしかあり得ない時間を過ごした。

そして、列車が走りだすまで見送ってくれて

P4010049.jpg


絶対にまた会おう。

そして再び夜行で国境を越え、14カ国目Bulgariaを目指す。

国境ではPassportの証明写真とすっかり姿を変えてしまった僕は1分以上もPassportチェックにきた係員2人にジロジロ顔を見られる…。

さらには電車はトイレに行けば便器の下には今まさに走っている線路が見え(つまり常に"放出状態")、キャビンは隙間風が吹く。

眠れない夜は果てしなく長い…。

P.S.
帰国後Aleksandarからは一度電話があった。
そして来年、彼らは来日を検討しているのだという。
Serbiaで受けた恩は2倍返ししないと。
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